ちこういん

仏教のはじまりの日

12月8日はお釈迦さまがお悟りを開かれた特別の日で、成道(じょうどう)と申します。この尊い成道の日を記念して「成道会」という法会が執り行われます。
 
成道会(じょうどうえ)(おさとりの日)
人間として生まれ、人間の幸福について悩み続けられたお釈迦さまが、菩提樹の下でついに「お悟り」を開かれ 仏陀(覚者)となられました。
 
仏教の出発点は、
「一切皆苦(人生は思い通りにならない)」
と知ることから始まります。なぜ苦しみが生まれるのでしょうか。
仏教ではこの原因を、

「諸行無常(すべてはうつり変わるもの)」で、

「諸法無我(すべては繋がりの中で変化している)」
という真理にあると考えます
 
一切皆苦・・・人生は思い通りにならない
お釈迦さまは、私たちの世界は自分の思い通りにならないことばかりである、と説いています。
仏教の「苦」とは、単に苦しいということではなく、「思い通りにならない」という意味です。
この「苦」には、「四苦八苦」と呼ばれる八つの苦しみが挙げられます。
 
諸行無常・・・すべてはうつり変わるもの
世の中の物事は常に変化を繰り返し、同じ状態のものは何一つありません。
それにも関らず、私たちはお金や物、地位や名誉、人間関係や自分の肉体に至るまで、様々なことを「変わらない」と思い込み、このままであってほしいと願ったりもします。
それが、「執着」へとつながるのです。
このような苦しみにとらわれないためには、ものごとは必ず変化するのだということ、全てが無常の存在であることを理解することが大切です。
 
諸法無我・・・すべては繋がりの中で変化している
全てのものごとは影響を及ぼし合う因果関係によって成り立っていて、他と関係なしに独立して存在するものなどないというものです。
自分のいのちも、自分の財産も、全て自分のもののように思いますが、実はそうではありません。
世の中のあらゆるものは、全てがお互いに影響を与え合って存在しています。
自然環境と同じように、絶妙なバランスのうえに成り立っているのです。
こう考えると、自分という存在すら主体的な自己として存在するものではなく、互いの関係のなかで「生かされている」存在であると気がつきます。
 
涅槃寂静・・・仏になるために仏教が目指す「さとり」

これは、仏教の目指す苦のない「さとり」の境地を示しています。
仏教に限らず、あらゆる宗教は「どうしたらみんなが幸せになれるのか」を追求します。

しかし、世の中は自分の思い通りにならないことばかり。
そんなとき、人は自分以外のものに原因を求め、不満になり、怒りを抱くものです。
仏教では、こうした怒りは全て、自分の心が生み出していると考えます。
その原因となっているのが、疑い、誤ったものの見方、プライドや誇り、欲望などの「煩悩」。
こうした煩悩を消し去り、安らかな心をもって生きることこそ「涅槃寂静」、つまり「さとり」の境地なのです。
そこに到達するためには、「諸行無常」「諸法無我」を理解することが大切です。
あらゆる現象に一喜一憂することなく心が安定した状態になれば、結果として幸せに生きることができるのです。
 
悟りとは知らなかったことを知ること、気がつくこと、感づくことを言います。覚りとも書きます。迷妄を去った真理やその取得をいいます。
 
お釈迦さまは、「悟りは頭で理解できることではない」と教えています。
私の見えているものを、全ての者たちに見せてあげたい。
そのために具体的な行動、考え方、生き方を教えてくださったものが、お経として今に残っているのです。
お釈迦さまがやってみなさいという事を知るために、伝えるためにお坊さんがいて、学ぶ場所としてお寺があります。
 
突然お告げがあって出来た宗教と、苦しみの解決と智慧から悟りを開かれた仏教とは、はじまりが違います。
どうぞ、宗教という言葉で、興味ない、知りたくない、何も困らないから、大変ならばわざわざやらないよ、とおっしゃらずに、お釈迦さまの教えが苦難の人生を生きるヒントになりますように、切に願っています。
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