ちこういん

泣き虫ばあさんのはなし

世の中は心一つの置き所 
楽も苦となり苦も楽となる
 
泣き虫ばあさん

むかしむかし、京都五条大橋のたもとにお茶屋さんがありました。
お茶屋さんというのは、橋を渡る人たちが休憩をするところです。

 
そのお茶屋さんに『泣き虫ばあさん』と呼ばれるおばあさんが住んでいました。泣き虫ばあさんは、いつも「エーンエーン」と泣いてばかりいるのでした。
 

ある日、お店の前を通ったお坊さんが思い切ってたずねました。
おばあさん、どうしていつも泣いてばかりいるのですか?


じつは、私には息子がいるのです。息子は傘屋をしています。お天気の日には傘が売れないでしょう?それがたまらなく悲しくて泣いているのです。


けれど、おばあさんは雨の日も泣いているじゃありませんか?

 
よくぞ聞いてくれました。実は私にはもう一人息子がいるのです。その息子は下駄屋をしています。雨の日は下駄が売れないでしょう?晴れの日には傘が売れず、雨の日は下駄が売れず、息子たちのことを思うとたまらなく悲しいのです。うっうっ・・・


おばあさんはまた泣き出しました。ところが、お坊さんは大きな声で笑いだしたのです。


なぜ、笑うのですか?私がこんなに悲しいのに!


いいですか、おばあさん。雨が降ったら傘屋の息子さんのことを考えて傘が売れると思いなさい。晴れの日には、下駄屋の息子さんのことを考えて下駄が売れると思いなさい。そうしたら悲しくなくなりますよ。


次の日は雨でした。空を見上げたおばあさんは、傘が売れると思ってニコッと笑いました。その次の日は晴れでした。おばあさんは下駄が売れると思ってまたニコッと笑いました。

 
雨でも晴れでもニコニコ笑うので「ニコニコばあさん」と呼ばれるようになりました。
 
これは古くから語り継がれてきた「泣き虫ばあさん」というお話です。
 
江戸時代頃の無学な老婆の物語で、こんなたわいもないことと思われることでしょうが、平成という現代において、しかもかなりの教養を身に付けた人々でさえ、これに似た同じような「思い違い」で、お悩みの方が多くいらっしゃいます。
 
 「世の中は心一つのおきどころ、楽も苦となり苦も楽となる」
 
欲望と苦痛の関係
 
ここでいう苦痛とは、すべての不快感です。不安、心配、恐怖感、苦労、悩み、うつ状態、それらがストレスです。
人間の感情というのは、力ではどうすることもできないのに、一生懸命に悪戦苦闘しているのが私たちです。
現代の医学も教育も、そんな私たちの戦いに協力して、一緒になって不快感やストレスを、薬や、あれこれ様々な方法で不快を除こうとして躍起になっています。
 
欲望と苦痛(ストレス)とは一つの心の両面です。切っても切れない関係にあるのです。また別の言い方をすれば「物と影との関係」にあるのです。
 
だから一方(ストレス)だけを除こうとしても駄目なのです。
強い欲望があるからこそストレスも強く感じているのです。
欲望はそのままで、苦痛(ストレス)だけを除くことはできないのです。
ストレスだけに目を向けて楽になろうとして嘆いているのは、泣き虫ばあさんと同じとは思いませんか。
 
悩みやストレス、苦痛の背後には、実は強い欲望が控えているのです。
泣き虫ばあさんがやったように、苦痛にばかり目を向ける心の向きを欲望の方に向けてみるのです。自分は一体どうしたいのか、どうありたいのかと、よくよく考えてみることです。
今までその欲望を無視して、苦痛(ストレス)にばかり目を向けて、嘆き悲しんでばかりいたのかもしれません。
欲望がはっきり分かったら、その欲望に向かって全力投球するのです。そうすれば苦痛(ストレス)はやがて消えていくことでしょう。
その次にまた、苦痛が現れたらまた、本心に問いかけ全力投球です。
 
そうは言っても、全力投球出来ないのが苦痛です、と悩む人がとても多いのも事実ですが、それでも一歩踏み出してみませんか。
 
「苦」と「楽」とは別々のもの、と考えがちです。
安らぎがあるとすれば、それは「楽」の中にしかないと思ってしまいます。だから、どんな苦労でもいつかは楽な世界、幸せがやってくるから頑張って乗り越えようと考えます。


「心ひとつ」とありますが「苦と楽」はふたつ。

一つしかない心はどちらに置いたらいいのか。
苦のときには楽を考え、楽のときに苦を考えればいいのか。
苦と楽を分けて考えること自体がおかしいのか・・・。
楽があるから苦を感じる、苦があるから楽を感じる。
比較をしないことか!
つまりは楽なら楽に、苦なら苦になり切ってしまう。
苦も楽も実質は同じだということ。苦と楽は一体なのだと。
 


たとえば、ゆっくり昼寝ができる時間が欲しいと思っていても、

連休で二日ほどゴロゴロしていると、逆に苦痛になってくる。
豪華な家に広い土地、あり余る預貯金で幸せいっぱいに見えるのに、

泥棒の不安で毎日を過ごしている人がいる。
財産があっても相続をめぐって兄弟間で醜い争いをしたり、
逆に若い人は、バイトの時給が上がらなくても毎日が楽しい人もいる。
 
「幸せ」があるのではない「幸せを感じる心」があるかどうか!
メーテルリンクの「青い鳥」では、貧乏だったチルチルとミチルが、幸せの青い鳥を求めて旅に出ます。残念ながら、幸せの青い鳥というものはどれだけ探しても見つかりませんでした。ところが、幸せは自分の心の中にあったことに気づくのです。


「幸せ」というものが実体としてあるのではなく

「幸せを感じる心」があるということです。


楽は苦でもあり、苦は楽でもあるのです。ということは、

苦とか楽とかは感じる人の心のもち方次第なのです。


つらいこと、苦しいこと、思い通りにいかないことは、人生に山ほどあります。しかし、その障壁を乗り越えた時が、また障壁が大きければ大きいほど、乗り越えた喜びもまた大きいのです。

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