ちこういん

誕生日って、どんな日?

水戸の黄門様
 
最近、私事ではありますが、誕生日を迎えまして、いつもと変わらぬ一日を過ごしたのですが、もうここ20年位は、その日はご先祖さまのご供養をしています。
 
私はあまり個人というか、プライベートを作らないものですから、お友達はいないのです。友達の付き合いもしないのです。変な人です。
 
それでも住職として、毎日、人とは接していますよ。知り合いも多いですからね。
 
さて、毎年祝われる誕生日をしていない寂しい私が、その日供養をするきっかけになったのはなぜかというと、以前に水戸黄門さまの話を知ったからです。それ以来、誕生日の過ごし方が一応決まりました。
私は、いいと思ったら考えて実行に移したいタイプです。
 
親は、子供の誕生日になると、ケーキを買ってきたりしてお祝います。生まれてきてくれたのですから、これほどめでたい日はありません。
しかし、親にとっては、どういう日だったのでしょうか。
 
光圀公と久昌寺
 

茨城県常陸太田市に日蓮宗本山久昌寺というお寺があります。
何度かお手伝いに上がったことがあり、その折、西山荘や水戸偕楽園も行きました。梅園など素晴らしかったです。

 
私は一番に梅が好きです。梅の木は別名に好文木(こうぶんぼく)と呼ばれまして、厳しい冬を越えて花を咲かせることから、学問の木でもあります。
菅原道真公も梅をこよなく愛したことから、学問の神さまとして天満宮には見事な梅が多いですよね。


水戸黄門さまも、偕楽園や小石川後楽園など梅林を作っています。黄門さまは若い頃「史記」を読んで感銘を受け、以前の行状を反省して学問に精励し、後に大日本史の編纂に取り組みました。助さん格さんが各地に飛び回り働いたことでしょう。
 
1645年(正保2年)光圀公が学を志してから、光圀公死後も事業として二百数十年継続し、明治39年に完成しました。数えて261年(満260年)、1657年(明暦3年)光圀公が史局を作ってから数えて249年(満248年)の歳月を要しました。実に全397226冊の大事業です。
 
母の供養
 
水戸黄門として有名な徳川光圀公が、生母(久昌院)の菩提の為に建立したお寺が母の戒名をとって久昌寺といいまして、当時は水戸随一の格式を誇りました。

また、義公廟には光圀公が生母の菩提を弔う為に写経した法華経10巻が納められています。母亡きあとは、誕生日になると一日籠ってご供養のお経を読まれたそうです。
 
光圀公は大変なグルメとして有名ですが、ご自身の誕生日には、母親を亡くしてからは白粥と梅干ひとつの粗末な食事しかしなくなりました。
不審に思って、近臣が尋ねると、
「産褥の母のすがたを忘れぬのが何よりの誕生日」と云ったそうです。
※産褥・・・出産の時に産婦の用いる寝床。また、出産およびその後の数週間。
 
この日こそ、自分が亡き母親を最も苦しめた日なのだ。それを思うと、珍味ずくめでお祝いなど、する気にはどうしてもなれぬ。母上を思い、母上のご苦労を思えば、自分はせめて一年中でこの日だけでも、粗末な料理で母上のご恩を感謝してみたいと言ったといいます。
 
古歌にも、次のように詠まれています。
諸人よ 思い知れかし 己が身の 誕生の日は 母苦難の日
 
誕生日は、生んで育てて下された父母の御恩を思い、感謝する日としたいものです。
 
次回、仏さまが教える親の恩をご紹介します。

  

このところ寒くなりましたので、いくつか火鉢を出しまして、南部の鉄瓶をかけて、お抹茶やコーヒーをいただきます。おいしいですよ。
 


手あぶり火鉢。手を温めないと筆が持てないんですよね。

 
火箸で炭と灰をいじっているのが、私の癒し。火箸の音もいいんです。
明珍火箸(みょうちんひばし)はチリーン、チリーン-と心地よい澄んだ音色で風鈴としても販売されていますよ。
 
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