ちこういん

人は変われます

米変じて人となる 人変じて仏となる
 
長崎ぶらぶら節
なかにし礼さんが書かれた直木賞受賞のこの小説は、長崎丸山の芸者愛八が郷土史家で長崎学の創始者古賀十二郎と、長崎の古い歌を発掘採集して歩く中で「長崎ぶらぶら節」に出会い、それを世に出して行くと言う、愛八の生涯を描いています。
 

その中で古賀さんは、こう言っています。
人間には肉体があり、魂がある。

しかしこれだけでは平凡な人間たい。
この魂が霊気を発して何事かをなす時がある。
其れが創造と言う仕事たい。
学問でも芸術でもすべて、この魂の霊気が天に通じなくては、天のひらめきは降りてこん。
おいが、長崎の歌探しばしようと思いたったとは決して行き当たりばったりではなか。
長年、長崎のことば学び考えつづけていたからこそ、そういうひらめきが訪れたとたい。
ひらめいても行動ば開始せんやったら一文の値打ちもなか。
人間の価値は行動で決まる。
行動に駆り立てるものは魂たい


そして、愛八に対しても
おいとおうちの魂が行動しているうちに霊気となり、その霊気が天に通じた。

そして天から恩寵が降りてきた。
其れが今日の、長崎ぶらぶら節との出会いたい」と。
 
 
情熱を持った魂が行動に触発されて霊気となり、霊気が天に通じて恩寵が降る、これはいつの世も変わらないことだと思います。


人が何かをなそうとする時は、その魂の躍動があるはずです。

その魂を揺り動かすものは、激情ではなく、むしろ、長く一心に温めつづけた情熱が、ある時に熟してエネルギーとして放出されるのではないでしょうか。
 
人が一心になるという事は、時によってその人のちから以上の力量が発揮されます。
 
平凡な人間が仏になれる、仏教はこのことを説いています。
 
稲は変じて苗となる。苗は変じて草となる。草変じて米となる。米変じて人となる。人変じて仏となる。 「日蓮聖人」
 
米は食されて人の血肉となります。人は行いによって仏となります。
 
人は皆、変わることができるんです。
 
一心不乱になれるものを見つけましょう。
それは、目の前のものをおろそかにしなければ見つかります。
 
情熱をもって行動し続けることが大切ですね。
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