ちこういん

めんどくさいという愚痴

断捨離で有名な、山下英彦さんの「めんどくさいをやめました」(祥伝社)から、愚痴の心について考えてみます。
 

生きていくことは暮らしていくこと。
大半は、片づけ・掃除・洗濯もご飯をつくって食べることも、

私たちの命をつないでいくための大切なもの。

これらがあまりに日常すぎて、積んでは崩すような毎日のことなので、

ついつい虚しい作業のように思えてしまうもの。

出てくる言葉は「めんどくさい」。

片づけるのはめんどくさい

掃除機をかけるのはめんどくさい
疲れてしまってお風呂に入るのもめんどくさい
役にたたない数学の試験勉強はめんどくさい
仕事の会議がめんどくさい

大人も子どもも、性別も職業も問わず口にする言葉です。
漢字にすると「面倒」となります。

マイナスの意味と同時に「世話」という意味を持っています。

「子どもの面倒をみる」「後輩の面倒をみる」といったふうに。

人の面倒をみたり、逆に人から面倒をみてもらったりと、

人とのつながりが築かれる、私たちにとって大切なものです。

その反面、手間のかかることでもあり、厄介なことでもある。

さらに「面倒」という言葉の後ろに「くさい」がついてしまうと、

負の側面だけが強調されてしまいます。

母親の「めんどくさい」を耳にした子が「自分は厄介な存在だ」と思い込んでしまう言葉です。そのひと言を口にするたび、知らないうちに「敵」を増やしていることも。口癖となっていたら、周りは敵だらけになっていく…。

もしも、「めんどくさい」を繰り返し、つながりを断っていけば、

いずれ自分自身を一人ぼっちにして、人生が狭くなっていくでしょう。

「めんどくさい」は、自分との関係も、他者との関係も断ち切る言葉。
「めんどくさい」は、命を育(はぐく)むのを放棄した言葉。

「めんどくさい」という言葉を言い続けることがどんなに無益なことか。
 
 
仏教では、こういう心を愚痴の心と教えています。
愚痴の心は畜生界をあらわします。つまり動物です。
この畜生界は、智慧が無いことをあらわします。
つまり、その時の感情だけで後先が考えられない状態。
感情のままに動いたら、後悔が待っています。
これが「おろか」というものです。
 
この愚痴の心、簡単にはキレイになりませんし、人間本来がもっている心。
 
対処は仏教でいう「持戒」儒教でいう「礼節」です。
 
簡単に言えば規則正しく、けじめをもって生活すること。
これも自由の弊害でしょうか、封建的と言われてしまいそうですね。
昔からの当たり前のことが、現代社会の家庭の中ではおろそかになっているようです。
 
美しさを求めましょう。心も身体も。
 
「難しい」「大変だ」と思うと、できない理由を探して行動しなくなります。少しづつでも生活を見直し、整理整頓していけば自然と心がついてきます。
智慧が備わり、因果というつながり、おかげさまが心から感じられるようになってくると、命が大切に思えてきます。そして感謝の気持ちが出て、「めんどくさい」が「ありがたい」に変わります。
 
生活の見直し、心の整理整頓は、お寺の瞑想体験が効果的です。
 
「めんどくさい」という言葉を言わない人でありたいですね。
 
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