ちこういん

死を受け入れるということ

我が子の死を受け入れるまで
 



 
キサー・ゴータミー、彼女は舎衛城の貧しい家に生まれました。
そんな彼女も、結婚し、一人の子供が産まれました。
 
 
幼い頃から貧しさと苦労続きだった彼女にも、ようやく幸せが訪れようとした時でした。不幸にも、突然の夫の死に出会うのです。
 
 
ある日、路上に倒れている夫を見つけました。この時、彼女のお腹には二人目の子供が宿っていたのです。
 


あまりの突然の不幸に、哀しみに沈んでいた彼女にさらに追い討ちを掛けるように、二人の子供は亡くなり、両親も世を去ってしまうのです。

 
 
自分ひとりだけがこの世に残り、こんな辛い苦しみがあるだろうか、彼女は死んでしまったわが子を抱いて、町中を歩き回ります。
 
 
「誰か、この子の薬を知っている人はいませんか!」
家々を尋ね歩く彼女に、何人かの人はこう言いました。
 
 
「お母さん、あなたは正気を失っておられる。死んだ子供の薬を求めて歩き回っているのだから」
 
 
しかし彼女は答えました。
「いいえ、私は必ずこの子の薬を知っている人を見つけ出します」
 
 
この様子を見ていたある賢者は、彼女を憐れに思って話しかけました。
「お母さん、私は薬のことは知りません。でも薬を知っている人なら知っています」
 
「どなたがご存知なのですか?」
 
「師が知っておられます」
 
「教えてください!」
 
 
彼女は、舎衛国に来ておられたお釈迦さまを訪ねます。
 
 
「尊い方、あなたは私の息子の薬をご存知だとうかがいました」
 
「はい。そうです。知っています」
 
「どうか、この子の薬をください。何でもします、分けてください!」
 
 
お釈迦さまは、必死に願う彼女の目と、腕に抱かれた赤子を見つめ、言いました。

「では、よいかな、よく聞きなさい。この町中の家の中から、未だかつて死人を出したことのない家を見つけなさい、そして、その家から芥子の種をもらってきなさい。そうすれば、私はあなたに、その子供を生き返らせる薬を作ってあげよう」
 
「わかりました、師よ!」
 
 
その言葉を聞いた彼女は、芥子の種が子供を生き返らせてくれるかもしれないと一縷の望みを得て、子の亡骸を抱きかかえながら気力をふりしぼって再び町に戻っていきました。
 
 
最初の家の前に立って、彼女はさっそく尋ねます。
 
「お宅に芥子の種はありますか? 息子の薬になるのです」
 
「ありますよ。ちょっとお待ちなさい」
 
 
芥子の種を持って出てきた家の人に、再び彼女は尋ねました。
 
「お宅では息子さんも娘さんも、どなたも亡くなった方はおられませんか?」
 
「何をおっしゃいます。うちでは今生きている人よりも、死んだ人間のほうがずっと多いですよ」
 
「それなら、これは受け取れません。この子の薬にはなりませんから」
 
 
それから、数えきれない家々の玄関をノックしてまわります。

「いやあ、うちは去年父を亡くしたばかりでねえ」


「私のところは三ヶ月前に見送ったばかりさ」


「うちには芥子の種はあるんだが、これまでに三人亡くしているよ」

 
 
芥子の種はあっても、死人を出したことのない家庭はありませんでした。
 
 
身体はくたくたに疲れ果てていますが、彼女は次第に心の平静さを取り戻していきます。
 
 
「皆、必ず家族の死を経験している、自分だけが悲しいのではなく、皆悲しい別れを乗越えて生きているのだと」
 
 
「ああ、なんと恐ろしいこと。私は今まで自分の子供だけが死んだのだと思っていた。でもどうでしょう。町中を歩いてみると、死んだ人のほうが生きている人よりずっと多いなんて」
 
 
彼女は次第に、自分の命と思っていた子供の死を受け入れていき、子供の死はもうとりかえしのつかないことだ、しかし子を亡くしてもなお生きている私はここにいる、その現実にようやく気付くことが出来ました。

 
彼女にとってケシ粒さがしは、自分探しでもあったのです。
 
 
お釈迦さまのもとに戻り、自分自身が気付いたことを話しました。
この時、お釈迦さまの教えを初めて聞きます。
最愛の子供を亡くしたことを縁に仏法に出会ったのです。
 
 
仏教は決して死者を生き返らせる奇跡を説くものではなく、むしろ諸行無常という厳然たる事実を説き、なお生死を越える道を説くものです。それがお釈迦さまの示された法です。
 
 
彼女は、お釈迦さまの教えを聞き、悲しみを乗越え、新しい道へ向かう心が生まれ、より深い悟りを得ようと出家して弟子になることを願い出ました。
 
 
幼い頃より苦難の道を歩み、人として、女性として生きることの苦しさを体験してきた彼女は、真に心から喜べる幸せを手に入れようと、尼僧となって修行に励み、生きていくのでした。

 
お釈迦さまは、相手の立場に立って、巧みな手立てをもって課題を出し、経験を通して真理に気づくように導かれます。
 
 
その課題を、時間をかけて取り組ませていくことによって、キサーゴータミーは死という問題をだんだんと受け入れていくのです。
 
 
この話では、愛する人の死が自分自身と向き合う機会となり、仏の教えと出会う得難い機縁となりました。
 
 
無常の理に目覚め、生死を超える道を求めるところに、私たちの苦しみや悲しみの根本的な解決があることを教えています。

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