ちこういん

義理

へつらはず 
おごることなく 
争はず 
欲をはなれて 
義理をあんぜよ
 
烏丸光広『道徳問答』
 
「義理をあんぜよ」とは、義理を大切にせよ、という意味です。
 
 
年の瀬、お歳暮。
お寺の私も、お世話になっている方へのお礼の挨拶回りの師走です。
 
 
義理というのは、社会生活や対人関係において、ルールを正しく守ることです。
具体的には恩を受けた人には、必ずお返しをする、雇ってくれている会社には仕事で貢献し、住んでいる近所の自治会などに参加し、地域に還元する、家族や親戚の冠婚葬祭に参列するなどです。
そういうことをしっかりできる人を「義理堅い人」といいます。





義理と人情を秤りにかけりゃ 義理が重たい 男の世界
これは唐獅子牡丹、任侠の世界を生きる主人公の言葉です。
 


しかし人によっては、しがらみや立場上、仕方なく行なうこともあるでしょう。

「義理で参加する」とか「義理チョコ」もありますね。
 
人情とは、読んで字のごとし人としての情けです。
義理とは違い、社会や立場やしがらみなどとは関係なく、自然な流れで心に湧き上がってくる感情のことです。

困っている人を見れば、誰でも助けてあげたいという気持ちはあるでしょう。しかしそれを実行することは、なかなか難しいことです。目の前に助けて欲しい人を見たときに、後先考える前に行動に移せる人は「人情に厚い人」「人情家」と呼ばれます。
 
 
江戸っ子といえば、義理と人情のイメージ。
落語で義理と人情の話は沢山ありますが、その中の一つ、文七元結(ぶんしちもっとい)をご紹介。
文七元結
職人の長兵衛は、仕事の腕は立つが、博打が大好きで借金を背負っています。
その日も博打に負けて帰ってくると娘のお久がおらず、女房は泣いています。
訳を聞くと、娘のお久は父に改心してもらいたく、自身を女郎屋に身売りしたというのです。


女郎屋の女将は、お久の心をくんで、長兵衛に1年間という約束で50両のお金を貸します。

しかし1日でも期限を過ぎたら、お久を女郎としてお店に出すという条件をつけました。
さすがの長兵衛も自分が情けなく、必ず改心して娘を迎えに行くと誓います。


その帰り道、橋のたもとで身投げをしようとしている男に出くわします。

訳を聞くと文七という名の奉公人で、使いを頼まれて集金したが、その大事なお金の50両をすられてしまいその責任をとって死ぬといいます。


長兵衛はこの金で命が助かるならと、断る文七に無理矢理50両を渡して逃げ帰ります。

長兵衛は自分の娘が体を売ってまで手に入れてくれたお金を、見ず知らずの人にポンとあげてしまいます。娘はこのままでは女郎になるが、死ぬことはない。しかしこの困った人を見捨てたら死んでしまいます。


死んでしまったらすべては終わりだよ、というのが長兵衛の考え方です。生きてさえいれば俺もお前も、娘やお店への義理は、いつか果たせばいいのだということです。

 
 
文七は店に戻り、集金した50両を差し出すと、旦那と番頭が顔を見合わせ・・・。
金の入った文七の財布は店に届けられていたのです。
 
というのは、碁が好きな文七は、集金に行った先で碁を囲む二人を見ていたら、ついつい見入ってしまい、財布を置いて慌てて帰ったというので、先方が先ほど届けてくれたというのです。
 
それじゃぁ、この50両はどうした?という旦那の問いに全てを白状する文七。
 
翌日、店の旦那は文七をお供に、長兵衛の元を訪れました。
事情を説明し、50両を返した旦那は、見ず知らずの若者の命を助ける為に大金を投げ出す長兵衛の心意気に惚れ、親類付き合いをと祝いの盃を交わし、お久の身請けもしたのでした。
自由の身となったお久。
その後、お久と文七は夫婦になり、麹町に元結屋の店を出したという話。
 
 
最近ではご近所の方の名前も顔もわからない方が多いでしょう。
終身雇用制も絶対ではなくなり、一つの会社に固執する必要はなくなりつつあります。
インターネットの普及により、人と人が会わなくてもよい時代になりました。
そんな現代日本人にこそ必要なのが、義理と人情の心。

恩を忘れずに人としての正しい道を進み、損得勘定せずに困った人には手助けをする。
日本人ならば誰もが持っていた昔からの心意気こそ義理と人情です。
 
グローバル社会でも、世界に通用する素晴らしい心持ちです。

スポンサーサイト



ちこういん
Posted byちこういん

Comments 0

There are no comments yet.

Leave a reply