ちこういん

目覚める

覚悟
 
「おのが目の 力で見ると 思うなよ 月の光で 月を見るなり」
古歌
 
「覚悟」と言えば、重大な〈決意〉や〈決心〉を意味します。
「決死の覚悟」といえば勇ましいですが、時代劇などでは「お覚悟めされ」といえば諦めの心持ちを示します。
 
 
仏教でいう「覚悟」は、
真理を〈さとる〉、真理に〈目覚める〉ことを意味します。
 
覚も悟も同じく〈さとる〉こと。
覚は不覚に、悟は迷に対して用いる言葉です。
 
 


お経には
「仏とは、覚と名づく。既に自ら覚悟し、また能く他を覚す」と説かれています。

覚悟を得た人を「仏」といいます。


そこで思うことは、私たちが覚悟すべきは、人間は本来一人ひとりが独立者でありながら、この世では絶対に独りでは生きられない。生かされて生きているのが人間である、ということです。

 
 
覚悟、つまり〈いのち〉の真の相に気づくことが大事でしょう。

思い上がりを捨てて、おかげさまの心を持つことです。

 

いつも悪口を言っている人がいます。
勤めている会社や、卒業した学校、住んでいた場所など。

 


そこには、今でも勤めている人や、通っている人や、住んでいる人がいます。
その人たちの耳に、その悪口が聞こえたら、どうなるでしょう。

 
 

言われた人たちは不愉快に思い、悪口を言った人は嫌われます。
何か問題が起きれば、ひたすら他人のせいにしてしまう人は、自分の間違い、至らなさを反省することがあまりありません。

 

「おかげ」で生かされていることを自覚する機会に恵まれず、どうしても自分中心の発想、利己主義で生きてしまい、「正直者は馬鹿を見る」と言うようになってしまいます。


正直に生きている人は、そういう人をすぐに見抜きます。
そして、その人から遠ざかっていきます。

 
「徳は孤ならず、必ず隣あり」
 


良い正直の徳を持つ人は決して孤立せず、周りから人が寄ってくる、助けてくれる人や協力者が必ず現れるものです。


「見栄を張り」「格好をつける」こともありますが、やはり、正直を旨として、地道に仕事に打ち込み、世のため人のために真面目に生きていく、良き正直者でありたいものです。

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