ちこういん

歩きスマホと同じ?

歩きスマホ
 
危ないですよね!
 
歩きスマホのお手本が小学校にあるらしい。
だから、子どもに悪影響で銅像が無くなっている?
 
本を読みながら歩いている銅像。
時代に合わないということでしょうか。



 
二宮金次郎とは。
 
二宮尊徳は、相模国の栢山村(現在の小田原市)に農家の長男として生まれ、
父は、養父から田畑と大きな家を受けついでいて、豊かでしたが散財していました。
 
尊徳が5歳の時、南関東をおそった暴風で、村の近くの川が決壊し、父の田畑は崩壊。家も流失しました。
立て直しをがんばって、田畑は数年で復旧しましたが、借金を抱えて貧乏になってしまいます
尊徳14歳の時、父が死去。朝は薪とり、夜は草鞋作りをして、一家四人の生計を立てました。
 
二年後、貧困の中で母が死去。まだ幼い2人の弟を母の実家に預け、農家であった伯父の家に身を寄せます。当然ながら家業を手伝わなくてはいけなかったようで、勉強好きだった金次郎は肩身の狭い思いをしたそうです。
 
勉強するより働け!
 
そんな伯父に養われている以上、好きな時に好きなだけ勉強することは許されず、夜中にこっそり明かりをつけて勉強していると、その明かりに使われる油がもったいないと叱られたことも記録に残っています。
 
金次郎は油のもとになる種を自ら栽培し、勉強するために採取した種を油に変えたということです。
 
その後も優れた頭脳を生かし、荒れ地を復興し、田畑を小作に出し、利益を上げて多大な収入を得ることに成功したそうです。
 
家を修復し、田んぼの一部を買いもどし、田畑を貸し出すなどして、収入の増加を図り、復活に成功すると、尊徳は農園経営を行いながら、自身は小田原に出て、武家奉公人として武家に奉公しました。
 
その後、母の実家が貧窮するとこれを資金援助します。
その頃、小田原藩で家老をしている服部十郎兵衛が、尊徳に服部家の家政の建て直しを依頼し、尊徳は服部家の財務を整理して千両の負債を償却し、余剰金300両を贈ったが、自らは一銭の報酬も受け取りませんでした。
この評判によって小田原で尊徳の名前が知られるようになります。
 
その後も小田原藩内で多くの家、村々の救済、再興を行い、功績を挙げていき、幕府の役人としても働きました。
 
二宮尊徳『二宮翁夜話』より


精励小なることを勤めば
大なる事必ずなるべし
小なる事忽(ゆるが)せにする者
大なる事必ず出来ぬものなり



小さなことをしっかり出来ていない者は、
大きなことはできません。

ということです。

戒めの言葉として、いつも心に置いておきたいです。

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