ちこういん

稲盛さん

「小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり」

京セラの稲盛さんがよく使われる言葉です。





目先の小さな善は、短期的には善ではあっても、長期的には大いなる悪を招いてしまいます。

一方、大所高所に立って将来のことをよくよく考えて下した判断(大善)は、その断行する際には、情け知らずの非情のことのようにとらえられる事がよくあります。

断行するときは断行しなければならないのです。

 

子育ての相談。

高校生で何とか高校は卒業できそうですが、そのあと働こうという気持ちがない。どうしましょう?

という話。

答えは簡単。

「働かざる者 食うべからず」。

卒業式が終えたら、その日のうちに家から追い出しなさい。
後は、浮浪者になろうが、餓死しようが、刑務所に行こうが、その子の人生です。

動物の世界は厳しいですよ。獣も鳥もある一定の時がきたら、巣から子共を追い出しますから。
高校まで出したのだから、あとはその子の生活力・生命力、人間力です。

このような類の相談は多くありますが、決断できる人と、出来ない人では、その後の結果が違います。


極端のように見えますが、このくらいの気持ちが無ければ、思ったようにはいかないものです。

小善は、その子を家の中に住まわせて、働く気持ちが起きるまで待っていること。
大善は、家から追い出すという「非情」な仕打ち。

 
信念が無ければ、自分にも甘くなり、他人にも甘くなります。


日蓮聖人は
善なれども大善をやぶる小善は悪道に堕つるなるべし
と言われました。
 

今の時代は、善い行いをしたことによって多くの人が悩み苦しむ時である。
悪い事は、愚かな人でも従わないし、分かり易い。
しかし、善い行いをする事は、世間ではただ善い事であるとしか思わないので、小さな善行によって、大所高所からみて大悪を起こしていることを知らないのです。



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