ちこういん

おもいたった断食修行

狼の断食修行




昔、ひとりの菩薩が帝釈天という神様になって修行を続けていました。

ガンジス川は豊かな水をたたえ、両岸に広がる森や野原は濃い緑に覆われて、そこには数え切れないほどの鳥や獣が住んでいました。

そのガンジスも年に一度荒れ狂う洪水のときがあります。春から夏に向かって長い雨の季節が来ると、降り続く雨と遠いヒマラヤの雪解け水とがひとつになって川はたちまち大波を打って両岸の土地を浸すのでした。

そんな時期ガンジスの岸に近い岩場に、餌がなく三日も食べていない一匹の狼がいました。


「こりやだめだ、当分腹のたしになるようなものにはありつけそうにないや。まあ、あと十日もして水が引くまで、ひとつ断食の行でもしてみるか」


狼は独り言を言って断食の行を思いついた自分に忌々しさと同時にホッとした気分を味わっていました。
狼の断食がいつまで続いたか、30分もすると彼の頭には丸々肥った野うさぎが思い浮かびました。


「いけねえ、いけねえ、断食の行だ」


彼は頭を振ってこの妄想を追い払います。そして20分もすると鹿の肉の柔らかい歯ざわりが甦ってきました。


「断食というやつは余計腹の減るもんだ」


そういって彼は生唾を飲み込み、まだ10分も経たないうちに、今度はどうでしょう、目の前に一匹の若い羊がいます。彼はすぐさま決心します。

 
「やめたぁ。断食の行なんてものはまたいつでもやれる。」


彼は力いっぱい後足で岩を蹴り、羊に向かって飛び掛かりました。と、羊はこれまた優雅な跳躍を見せて、そのまま天空の彼方へ消えていくのです。


「チキショー、まっいい。なんにしても一度決心した断食の行を破らなかったのが幸いというもんだ。さっやるぞ、十日間の断食」


狼はまた心を取り直しました。

 
そのとき虚空に鈴のような声が響きました。


「われは帝釈天である、いま羊の身となって汝の心をためした。その場の成り行きで決心したものはまた成り行きによって破られる。決心とは思い付きではない。暮らしの積み重ねである。汝にどのような暮らしがあったか?」

それは音楽のように余韻を残し、羊の消え去った天空に帝釈天の姿があらわれたのでした。

お釈迦さまは、こうお話されて、このときの帝釈天こそ、前の世の私であったと語られました。
 
おしまい
 
お釈迦さまも長きにわたり想像を絶する苦行をされました。
しかし、この様な苦行は出家以前の享楽的な生活と同じように、両極端の一端にしか過ぎないことに気がつかれたお釈迦さまは、ついに苦行を捨てて、菩提樹の下で坐禅を組み、ゆったりと静かな瞑想の修行に入られます。
 
その修行中のお釈迦さまに、波旬という魔王が現れ、様々な誘惑や恐怖でもって邪魔をします。しかしお釈迦さまは静かな瞑想の修行により、大いなる智慧を身につけ、欲望にも、執着にも、魔王の誘惑や恐怖にも打ち勝ちます。そして、お悟りをひらかれました。
 
私たちも、極端はいけませんね。
 
ひたすら自分をいじめて、やった気になり満足感を得て、思い切り自分にご褒美をあげる。
気持ちはわかります。しかし、それは享楽的な生活と、極端な苦行という両極端な、悟り以前のお釈迦さまと同じことです。
 
ゆったりとした静かな生き方を続けてゆきたいものですね。
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