ちこういん

ご縁

ご縁を戴(いただ)く
 
知らない人どうしが出逢って親しくなったりすると「ご縁ですね」などといい、神社仏閣では「良縁祈願」があったり、結婚ができると「いいご縁で結ばれて」と言いますね。
逆に、なかなか結婚ができないと「ご縁がなくって」と言います。

めぐり合わせや関係のできるきっかけなどを表す言葉です。

「ご縁」とは、仏教の「因縁」「縁起」のことです。
物事のありようを説明するのに「因縁」という言葉を使います。

物事が生じる「因」と、そうなるようにする力、それを助ける力を「縁」と呼び、この「因」と「縁」の二つの働きで物事、つまり「果」ができあがる、という説明です。
 
花でたとえれば、球根があります。「因」です。
この球根が花を咲かせます。「(結)果」です。
水や熱などの助けを「縁」と呼びます。


このように球根は「縁」を得て花になります。

これを「因縁」とも、あるいは縁によって物事が起きますからか
「縁起」と言います。
 
では、今ここにいる、この私はどう説明されるのでしょうか。
私どもは親から生まれてきました。
だから、親が「因」でこの私が「果」でしょうか。
 
そうとも言えますが、親はその前の親があって生まれてきます。
その前の親もその前の前の親から生まれてきます。
 
そうすると、
私の今あるその親の「因」は計り知れない昔に始まった、
いや、初めが解らない、ということになり、結論です。
 

仏教ではこの「果」である私に対し、親を「縁」と呼ぶのです。
この私は親を「縁」として生まれてきたと言います。

 

同じことが子どもにも言えます。
このわが子はこの私を「縁」として生まれてきたと。


この私も親も子も、つながり合う「縁」で存在し、

さらに、親子だけではなく、あらゆるいのちと、
この「私」は「縁」で存在しあっています。
世の中には「自分と関係ない」ものはありません。
 
仏教は、「網の目のように」つながった中で存在している、
と説明します。
この「網の目のように」つながっている「縁」は、
いつもこの「私」に極まる、つまり、天地、一切の恵みは、

ひとりこの「私」のためにある、といただきます。

それが「ご縁」を戴く、ということです。
 
明日から、お彼岸です。
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