ちこういん

教育には環境

孟母三遷(もうぼさんせん)
幼児の教育には環境が大切であるという教えです
孟子(もうし)が幼い頃、家は墓地のすぐ近くにありました。
そのためいつも、葬式ごっこをして遊んでいました。
 

孟子の母は、
「ここはあの子が住むにはふさわしくないところだわ」

そう考えて引っ越すことにします。
移り住んだのは市場の近く。

 
孟子は商人のまねをして商売ごっこをして遊びます。


孟子の母は言いました。
「ここもあの子が住むにはよくないわ」

再び引っ越して、今度は学校の近くに住みました。


孟子は、学生がやっている祭礼の儀式や、

礼儀作法の真似事をして遊ぶようになりました。

「ここならあの子にぴったりね」
孟子の母はここに腰を落着けることにします。

やがて孟子は成長すると、

六経を学び、後に儒家を代表する人物となりました。
 

性善説を主張し、仁義による王道政治を目指した孟子。
儒教では孔子に次いで重要な人物です。





そのため儒教は別名「孔孟の教え」とも呼ばれるほど。
母もまた、非常に賢い人ですね。


孟子の母の姓は「仇」と言いました。
父の名は「孟激」といい、孟子がまだ幼いころにこの世を去りました。

 
『韓詩外伝』には、
孟子の母親の言葉としてこんな内容が記されています。


「私はこの子を孕んでから、座席がきちんとしていなければ座らず、きれいに切っていないものは食べない。これこそが胎教である」


おなかの中から母親の心遣いを満身に受けた孟子は、すくすくと賢い子どもに育っていくのです。

日々の生活の中でも、生活習慣など、さまざまなことに心を砕き、子供を立派に育て上げることこそが自分にできる最高の仕事であり、国への最高のご奉公であると考えていたそうです。

さて、親離れの時が来ます。別れです。
孟子が十分に成長したので、母は孟子が他国で学問をすることを望み、家を出すことを決意したのです。

しかし、成長したとはいえまだ幼かった孟子は、ふるさとの優しい母の面影が恋しくてたまりませんでした。
 

ある日、孟子はさみしさのあまり故郷の母の前へとひょっこり顔を出しました。
ちょうどそのとき、母は機織りの最中でした。

愛する息子が帰ってきて、嬉しくないわけはありません。
孟子の母親は一瞬顔をほころばせましたが、とたんにはっとした様子で優しくこう尋ねたと言います。

 
「孟子よ。学問はすっかり出来ましたか?」

孟子はこんな母の言葉に、少しうろたえてしまいました。

孟子の答えはこうでした。
「はい、お母さま。やはり以前と同じところを学んでいますが、いくらやっても駄目なので、やめて帰りました」

 

この言葉を聞くやいなや、孟子の母親はいきなりそばにあった刃物を取り上げると、苦心して織っていた織物を真ん中から裂いてしまったと言います

そして彼女はこのように孟子を諭したのでした。

「ごらんなさい、この布きれを・・・。
お前が学問を中途にやめるのも、この織物を中途でやめるのも、結果は同じですよ」

 

孟子はその場で自分の弱さを恥ずかしく思い、すぐさま都へと学問修行のために帰って行ったそうです。

こうして学問を重ね、孟子は天下一の学者になったということです。
 

母は強し。

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