ちこういん

幸福を引き寄せる

幸福を引き寄せる
 
「惜福」
 
福を惜しむ
 
自分に訪れた幸福のすべてを享受してしまわず
後に残しておくこと
 
明治末から大正初期にかけ、暗い時代が続きました。

事業の失敗や失業、貧困など、さまざまな外的原因によって自らを不幸だと思い込み、悩み、苦しみ、陰惨な思いに沈む人が多くいました。

 
誰でも幸福になりたいもの。
幸田露伴氏は「どうすれば人は必ず幸福になれるか」という幸福論は不可能であると考え、「どういう心がけで生きれば、不本意なことが多い世にあって人生を肯定的に生きられるか」を説きました。
 
そして露伴が書いた本のタイトルは『幸福論』ではなく、『努力論』。
 


「すべて享受し得べきところの福佑を取り尽くさず、使い尽くさずして、これを天といおうか将来といおうか、いずれにしても冥々たり茫々たる運命に貯けおき、積みおくを福を惜しむという」(幸田露伴)
 
「惜福、分福、植福」

「幸福三説」という3つの工夫を露伴は述べています。

 
第1は、「惜福」。これは、福を使い尽くさないこと。
「たとえば掌中に百金を有するとして、これを浪費に使い尽して半文銭もなきに至るがごときは、惜福の工夫のないのである」とあります。
炭火に灰をかけて長持ちさせるのが惜福です。
 
第2は、「分福」。
恵まれた福を分かつことは、春風の和らぎ、春の日の暖かみのようなものであるといいます。
春風はものを長ずる力であり、暖かさでは夏の風にはかなわないが、冬を和らげ、みんなを懐かしい気持ちに誘うことができる。
それと同じように、福を分かつ心を抱いていると、その心を受けた者はやすらかな感情を抱くものである。
分福をあえてなす者は周囲に和やかな気を与えることができるのです。
 
そして第3は、「植福」。
リンゴの木がまだ花を咲かせ、実をつけているうちに、種をまき、接ぎ木をし、新しいリンゴの木を育てておきます。それを自分の子孫が食べるのです。
これが植福です。
1人の植福がどれだけ社会全体を幸福にするか計り知れません。
植福において、個人と社会の福がつながるのです。
 
 
福はなくなるもの。
福をなくさないためにも、
さらには福を増やすためにも、

「惜福」「分福」「植福」の3つを実行したいものです。

 
 
もう少し。
 
努力論には、露伴の強さが表れています。
 
去年の自己は自己の敵であると位に考へねばならぬのである。
 
何事によらず自己を責むるの精神に富み、
一切の過失や、齟齬や、不足や、不妙や、あらゆる拙なること、
愚なること、好からぬことの原因を自己一個に帰して、
決して部下を責めず、朋友を責めず、他人を咎めず、
運命を咎め怨まず、ただただ我が掌の皮薄く、
吾が腕の力足らずして、幸運を招き致す能はずとなし、
非常の痛楚を忍びつつ、努力して事に従ふものは、
世上の成功者に於て必らず認め得るの事例である。
 
 
仏教では努力を「精進」と言い、
更に強い思いを、「勇猛精進」(ゆうみょうしょうじん)と言います。
 
私も強くありたいです。
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