ちこういん

布施の話

4月16日 おはようございます。
 
ご訪問有難うございます。
 
お釈迦さまの前世物語に、その時代に最上の布施を実践した僧についてのお話があります。
彼は自分の食物を他者に与え、手のひらをやっと満たすほどの飲み物を受け取った時でさえ、貪欲から解放されていたので、人に与えてしまうほどでした。

しかし、以前の彼は、「草の葉の先端についた油一滴でさえ決して与えないだろう」といわれるほどのけちだったのです。

 僧の過去世、コシヤという名前だったとき、彼は大変なけちでした。

ある日、彼は、粥がとても食べたくなりました。
彼の妻が、自分の分だけでなく、ベナレスの全住民分の粥を作ることを提案したところ、彼は「まるで、棒で頭を殴られたかのように」感じました。
それで彼の妻は、一つの通りに住む人々の分、さもなければ彼の家の従者の分、もしくは自分たち家族の分、それでもだめなら彼と彼女の二人分だけでも、作ってはどうかと提案しました。
しかし、彼は、そのすべての提案を退けたのです。

彼は、自分一人のために作った粥を、森の中で一人だけで食べ、誰にも見られたくなかったのです。

 お釈迦さまの前世に、帝釈天としての修行をしていた時のこと。

彼を改心させたいと思い、バラモンの姿をさせた四人の従者を連れて、彼のもとへとやって来ました。
彼らは一人づつ、そのけちな男に近づき、いくらかの粥を請いました。

さらに帝釈天は次のような詩を詠んで、「布施」を褒め称えました。
 


 少ししか持たないものは少し与え
 ほどほど持つものはほどほど与え
 多く持つものは多く与える
 何も与えないのは問題外
 私はこのように言う、コシヤよ
 汝のものを施しとして与えよ
 一人で食べるな、一人で食べる者には何の喜びもない
 施しによって、汝は天上界にいたる聖なる道を昇るであろう
 
 

コシヤは、嫌々ながら、彼らにいくらかの粥を提供しました。
すると、バラモンの一人が、一匹の犬に変身しました。

犬は小便をし、その一滴がコシヤの手にかかりました。
コシヤが川へ行って手を洗うと、こんどは犬がコシヤの鍋の中に小便をしました。
コシヤが犬を脅かすと、犬は荒々しい馬に変身し、コシヤを追いかけました。
 
それから帝釈天と従者たちは空中に浮かび、帝釈天はコシヤを憐れんで教えを説き、そのままでは不幸な生まれ変わりをしてしまうことを警告したのでした。
 
やがてコシヤは、物惜しみの危険性を理解するようになりました。

そして自分の持ち物をすべて手放して、修行者になったのです。

 

善い行為は喜ばしい結果をもたらし、悪い行為は不快な結果をもたらします。
原因と結果の法則です。
布施には、業(カルマ)とその結果についての正しい理解が必要です。
 
理解というものは、善なる意識を伴っているかどうかにかかわりなく、善の根源です。
理解に善の意識が伴っていれば、善の度合いは高まります。
理解を意志の力で生じさせることはできません。
理解は条件がそろったときに生じるものです。

お釈迦さまの教えを学ぶことは、より深い理解を得るための必要条件なのです。

今日積みかさねたものが、将来や来世においてその結果を作りだすということを理解すれば、自らが置かれている環境やつきあっている友人たちとの会話も、好ましいかどうかを判断できるようになります。

 
どんな類の話を避けるべきか
どんな類の話を育むべきか
 
会話はきっかけになる大切なものです。
少しでも良いものにしたいですね。
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