ちこういん

水子の供養

今日は合同の水子供養会でした。
毎月行っております。

【水子供養とは】


抱かない子は忘れる・・・
 

この世で親に会うことも、抱きしめられることもなく、命を終えてしまった胎児の霊を水子と呼んでいます。
やむを得ず水子となってしまった子に、お寺の本堂で手を合わせ、お経を読み、お菓子やおもちゃを供えてご供養をします。

 
一度お腹に宿った生命が、様々な事情で死産、流産、中絶(堕胎)となってしまう事がありますが、誰も望んでそのようなことにはなりません。
しかしながら、お寺でこの生命の問題に接しておりますと、考えさせられることばかりです。

昔は家族の生活の為に、間引きがありました。
現代も同じで、都合が悪いという中絶があります。

また、ダウン症検査もあって、生む生まないを選択できます。
もっと言えば、胎児は何週目からか。
それまでは、母体の一部だから、脂肪と同じと言う人までいます。
WHOで定められていることや、法律では・・・。

価値観も様々、難しい問題であり、悲しい現実です。


水子供養で思うことは、いずれ親になる子供たちの成長です。

現代を観ますと、夢や自由という言葉の自分勝手な行動。
はき違えた男女平等による身体の違いの軽視と無視。
行き過ぎたジェンダーフリーなどの思想。
不規則な食生活に添加物、ファーストフードに冷凍食品。
さらに両親共に仕事で忙しいご家庭。

ただ言えることは、女の子は将来好きな人との間に、丈夫な子を授かる大切な「からだ」を自覚して、自分の身体を大事にして欲しい。辛い思いをするのは女性です。
男の子は女性を大切にする人に成長して、強い気持ちで妻も子供も守って欲しい。

現代の環境は、子供を産み育てる親にとっても、成長していく子供たちにとりましても、きびしく思えてなりません。青少年の健全な成長や、親としての心構えについて、お寺が何ができるかを考えていきたいです。

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