ちこういん

善悪の判断 其の3

3月14日 おはようございます。
 
ご訪問有難うございます。
 
仏教の善悪の続きです。
 


一般的には、結果や量、外見や形で善い悪いと判断されがちです。
ですが仏教では心の有様を重視し、量よりも質を重んじます。
 
良い心の有様とは、心が清まっていることです。
怒りや貪りが少なく、落ち着いてリラックスし、朗らかで、言葉も対応も丁寧な姿勢でしょう。
 
反対に、心が汚れているのは悪い心です。
怒りや攻撃性に満ち、本心では野心があり、言葉も粗暴で、態度もぞんざいで、落ち着きが無く、騒がしい状態です。
 

もちろん、人間ですので、100%、心を清らかにすることは難しいでしょう。
また、動機が大事だからといって、量が全く関係無いと言うことはありません。
量も大切でしょうが、それ以上に質(動機・心の有様)が大切だということです。

 
仏教の善悪基準の物差しで、価値観や人生観、世界観が変わり、その行いによって智慧が深くなっていくことが理想です。
 
募金活動や、慈善活動も善い行いですが、目がいき届かないゆえ、詐欺紛いなことをしているケースもよくありますし、見極めの大切です。
 
大規模な社会貢献も、現実は規模が大きくなれば矛盾や問題も出てきて、トラブルが出てくることが多いものです。ですので、現実的な観点からいえば自分ができる範囲以内で行う、小さくても身の回りで心を込めた親切のほう良いかもしれません。
 
パーリ仏典には、いくつもの話が出てきます。
 
ある大富豪が、毎月、盛大な供養祭を行っていました。
しかし、僧侶達は「そんなに豪勢なことはしないで、適度にしなさい」と苦言を呈します。しかしその大富豪は忠告を聞き入れず、派手で盛大な供養祭を続けたようですが、やがて財を使い果たし、しかもそれほどの功徳(結果)も得られなかったといいます。
 
あるいは、悪心を起こしながら、見た目は善行をしていても、餓鬼道に墜ちた話しもあります。
 
一方、阿羅漢にサジ一杯のおかゆを、心を込めて供養した人が、7回の生まれ変わりのすべてが大幸運となったと経典には記されています。
 
善行為とは、日々の生活の中でできることです。
家族の間で、職場、学校、いつでもどこでも、その気になれば、素晴らしい善行為をすることができます。
 
そして中身、質を大切にするなら、社会や家族、人間関係は、必要以上に無理をしたり、どこかにしわ寄せが来ることが少なくなり、より安定してバランスも取れてくると思います。
 
 
反対に悪行為。
人助けや社会貢献でも、汚れた心で行ったり、相手をバカにしたり、憎みながら何かを与えたとしても、その見返りは必ず戻ってきます。
相手に嫌な思いをさせたなら、かならず、自分にも嫌な思い(苦痛)として戻ってきます。いわゆるカルマの法則です。
 
仏教でカルマとは、「心で受けるもの」としています。
 
例えば、良い所に就職したり、お金持ちになっても、人には言えない大変な苦労を背負うとか、矛盾に悩むようになることでしょう。
 
 
「幸せ」とは、心が感じるものです。
 
しつこいようですが、心を作っていくことを仏教では信心と言います。
仏さまの心を信じるから、自分の心が仏さまに近づいていくのです。
明るく、やさしく、落ち着いた心で日々過ごすことを基本としたいものです。
 
人間とは、苦ありゃ楽ある人生ですが、仏教の善悪の原則論をご紹介させていただきました。
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