ちこういん

善悪の判断

3月10日 おはようございます。
 
ご訪問有難うございます。
 
世の中には、一般に「善と悪」があります。
いろいろな定義や考え方、とらえ方も時と場合によって違いがあります。




仏教(原始仏教)の一つの見方をご紹介します。
基本的には単純で、「煩悩が無い」こと(弱いこと)です。
 

仏教では、煩悩が無ければ無いほど、「善」としています。
煩悩がないこと、つまり、心が浄まっているほど善になるというわけです。

 
反対に悪とは、煩悩の強いこと、心が汚れていることをいいます。
 
仏教における善悪のとらえ方は、世界中の宗教や思想の中においても、あらゆる事象に照らし合わせても、それなりに納得のいく基準ではないでしょうか。
 
日本では、儒教や道徳の影響がありますので、社会や世間に貢献する「度合いの高い行為」を「善」ととらえる傾向があります。
いわゆる「徳」の概念です。
確かに、社会貢献や奉仕的な活動は尊く、これも善行です。
 

ですが、仏教では、より掘りさげて、善行為の本質へと迫ります。
仏教が説く善行為の本質とは

「どういう心で行為をするのか」
といった動機の部分です。
 
分かりやすくいいますと、たとえば、社会貢献をするにしても、本当は名声が欲しいからといった動機があれば、その行為の善は半減してしまうということです。
 
反対に、社会貢献といった大きな行為はしないけれども、家族や友人の幸せを心の底から願い、献身的にお世話をするなら、この行為は素晴らしい善行為になるということです。
 
動機に不純なものがあると、善行為の価値は目減りしていくというもの。


攻撃的な心

欲望に満ちた心
落ち着きの無い心など
煩悩の盛んで汚れた心による行為は、善行為とは言いがたくなるというのが仏教の立場です。

労多くても効は少ないということですね。

一般的には、社会や他人への奉仕や貢献の「量が多い」と、大きな善行為をしたと思わているかもしれません。
けれども仏教では、そうではない。

量よりも、質を重んじます。
 
質を重視するということは、行為をする際の「心のあり方」が問われるのです。
「心の清らかな状態で行う行為」
が仏教では善行為なので、
社会貢献とか人助けとか、「外見」「見た目」「量」「規模」ではなく、「心のあり方」が重要なのです。
 
注意。
あくまで、簡単な一つの見方です。
ご参考までに。
 
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