ちこういん

日本史上の大事件

2月17日 こんにちは。
 
ご訪問有難うございます。
 
おのづから よこしまに降る 雨はあらじ 
風こそ夜の まどをうつらめ

日蓮聖人

自分から横に降ろうとする雨はありません。

風こそが雨をして夜の窓を打たせるのです。
 
 


この歌の「雨」は人間が持つ仏性のことなので、心は本来は真っ直ぐできれいなものなのですが、邪な「風」が吹いて信心を妨げる悪縁をもたらすのだと説いています。
 
 
昨日は、日蓮聖人の御降誕会でしたが、ご生涯を思いますと、
聖人の御誕生は承久(じょうきゅう)四年(1222)。
当時の世相はというと、、前年の承久三年に朝廷方が北条義時らの鎌倉幕府に敗れ、しかも後鳥羽(ごとば)・土御門(つちみかど)・順徳(じゅんとく)の三上皇(じょうこう)が流刑に処せられるという日本史上未曾有の大事件(承久の乱)が起こるなど、「下克上(げこくじょう)」の混乱がそのまま五濁悪世(ごじょくあくせ)の末法の様相を示していました。
 
 
聖人の幼少期、世間においては悲惨な事件が相次ぎ、大風雨や干ばつなどの天災によって大飢饉も発生し、世情の不安は募るばかりです。
 
承久の乱をはじめとする数々の凶相は何によるのかという疑問を持つに至り、聖人十二歳の時「日本第一の智者」となるために学問を志して、清澄寺へ入りました。


疑問の一つは、承久の乱において、天皇方は鎮護国家を標榜する天台真言等の高僧により、調伏の祈祷を尽くしたにもかかわらず惨敗し、三上皇が島流しに処せられてしまったのは何故か。

二つには、仏を信じる者の臨終が苦悶の姿、悪相なのは何故か。

三つには、お釈迦さまの説いた教えが各宗に分かれ、それぞれ優越性を主張しているが、釈尊の本意はただの一つなのではないか、というものでした。
 
 
また、聖人がお亡くなりになるのは弘安5年(1282)。
前年には「蒙古襲来」がありました。




元寇と呼ばれ、中国大陸を征圧したモンゴル帝国(元)の皇帝クビライによる日本侵攻のことで、1274年(文永11年)の「文永の役」と、1281年(弘安4年)の「弘安の役」(14万人、船4400隻)があります。
 

聖人のご生涯のご誕生とご入滅には、日本史上の大事件があったのです。

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