ちこういん

お釈迦さまのご命日

2月15日 今日は涅槃会です。
 
お釈迦様の御命日の法要がありました。
 
この一年の間に、どれほどの別れがあったことでしょう。
遅れ先立つは世の習い、とは言いますが、大切な人を亡くすと、私達は時に自分を責めてしまいます。
 



涅槃会に掲げられる涅槃図の物語に欠かせないのは、お釈迦様に「最期の食事」を捧げた鍛冶屋のチュンダです。
 
チュンダは、憧れのお釈迦様に食事を供養できることを誇りに思って最高の食材を求めましたが、気の毒なことにその時の茸がもとになって、お釈迦様の体調は悪化してしまいます。
 
チュンダは、自分の食事のせいでお釈迦様の死期が早まったことを嘆き、人々にも非難され、とうとう自分がお釈迦様を死なせてしまうと我が身を責めます。
 
このチュンダの心情と周囲の動揺を察したお釈迦様は、チュンダに向け、そして周囲の弟子らにも聞こえるように殊更きっぱりとこうお説きになります。
 





チュンダよ、私が死んでいくのはお前のせいではない。
私が死んでいくのは、私がこの世に生まれたからである。
 
 
「あの時に私がこうしていれば、あの人は死なずに済んだのではないか」
「いや、ああしていれば...
 
私たちは自分を責め、ひとり苦しむことがあります。
 
そんな私達に向かって、お釈迦様は、
「あなたのせいじゃない、心の重荷を降ろしなさい」
と語りかけています。
 
皆さんのそばに、チュンダはいるかもしれません。
知らずにチュンダを責めているかも。
あるいは、ご自分を責めているかも。
 
 
大切な人を亡くせば、頭では理解できていても自分を責め、心が、魂が追いつかないものです。
 
お釈迦さまは、そんな私たち人間の情を知らない人ではありません。
 
それを十分に知ってなお、無常の理を説き続けるのです。 
 
なぜでしょう。 
 
チュンダは、まだまだ自分の人生を生きていかなければなりません。
 
だから、自責や嘆きにしばられている私たちチュンダを、
再び自分の人生へと向き直らせる、働きが必要なのではないでしょうか。
 
 
引導を渡す、という言葉があります。
 
つらい役目ですが、誰かが、もう終わり、と告げなければなりません。
 
お釈迦さまは、チュンダを通じて、私たちに語りかけます。
 
この世は「諸行無常」だと。
 
私が死んでいくのは、お前のせいではない。
私が死んでいくのは、私がこの世に生まれたからである。
 
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