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ペットロス ペットとの別れの苦しみ

ペットロス

 
人間とペットの付き合いの歴史は長く、遡ると犬は縄文時代から狩猟の手伝いや番犬として活躍しており、奈良・平安時代には愛玩犬として貴族に親しまれてきました。
また、猫に関しましも、奈良時代頃より、ネズミ除けとして中国から連れてこられたそうで、平安時代には犬同様に室内で飼われるようになり、犬とともに古来より人間と、とても身近な存在として親しまれてきました。

仏教では、私達人間を始め動物(ペット)はもちろんの事、生きとし生けるものすべて、その命は平等であると説かれています。
永年ご家族と一緒に暮らしてきた動物(ペット)達は特別な尊い命です。

ペットロスとは直訳すると「ペットを失う」という意味ですが、
「うちの家族、うちの子」として迎えられた動物たちは家族でもあります。
その別れに遭遇した飼い主の悲しみをとらえた言葉として使われます。
飼い主が出かける時は心の底から悲しみ、帰宅した時は体全体で喜びを表現してくれます。
また辛い時や悲しい時には、何も言わずに側にいてくれる大切な存在です。
そんなかけがえのない存在が、ある日突然姿を消せば、深い悲しみに陥ることは不思議なことではありません。
ペットを飼っている人であれば、ペットロスは、誰にでも起こりうる現象なのです。
人間と動物という関係性を超えた絆を結んでいるだけに、
共に過ごした時間が長いほど、支えになった度合いが大きいほど、
結ばれた絆が強いほど、亡くなった時の悲しみや辛さはさらに大きなものになります。

「何もする気が起こらない」「何も食べてもおいしくない」
「この悲しみがずっと続くのではないか?」
「いつまでも泣いている私は異常なのではないか?」

世の中には動物を飼ったことも触れ合ったこともない人もいます。
また人と動物との関係に対する 認識にも温度差があり、
全ての人がペットを失った悲しみに共感してくれるわけではありません。

「たかがペットが死んだくらいで
「いつまで泣いていれば気が済むのか
「また飼えばいいじゃないか
「あんまり自分を責めていると成仏しないよ」
「いつまでも泣いているとあの子が心配するよ」

ペットロスということ自体が、一般的に普及していないこともあり、
ペットロスに苦しむ人を「おかしい」「異常だ」「病気」という枠組みで捉えられてしまうことすらあります。
時間を共有した動物との別れは私たちが直面する苦痛の中でも最も大きいものであるにもかかわらず、それを周りに受け止めてもらえないということがあります。
ペットロスには愛した動物を亡くした悲しみと周りの人たちからの理解に無さという2つの苦しみを味わうという現実も有るのです。
 
悲しみからの回復

哀しみの最初の反応はペットが亡くなった事を否定する事から始まります。
精神的なショックが強すぎて、感情を整理することができず、
事実を否定することで、自分の精神を守ろうとします。
これは自然にわきあがってくる感覚であり、正常な防御システムなのです。最愛のペットの死を正面から受け止めることはとても難しいことですが、死を受け入れ、さらに死を許すことが最後にできる愛情なのかもしれません。
それができたときにはじめて「意味ある死」となるのではないでしょうか。
悲しくなったら泣いて、哀しみの感情を表に出すことが必要です。
泣くことによって心が浄化されていくことを感じられます。
 
具体的に出来ること
・いっぱい泣いて悲しみを表すこと
・パートナーをちゃんと供養してあげること(葬儀・供養など)
・思い出してあげて語り掛けること

その次に原因探しが始まります
「何でいなくなった?どうして死んだの?」
「早く帰れたのに、ほおっておいた」
「もっと早く気付いてあげられたら」
といった自責の念に悩まされます。
原因探しは哀しみを深く感じる過程としてある程度はいいかもしれませんが、結果的には原因は突き止められませんので、途中であきらめることが必要です。
精神的なショックが落ち着いてくると、喪失感と共に「死」を冷静に認識しようとする時期が訪れます。
一緒に過ごし楽しかった時間や懐かしい思い出を回想し、悲しみが込み上げてくる段階です。
この時期にもやはり涙を流し、自分の気持ちを素直に表現することが大切となります。
仏教には「無常」という言葉があります。この世の全てが常に流動し、
変化しないものはないと。人の感情も変化していくのです。
現状を少しずつ受け入れていければ、徐々に悲しみから開放され、
ペットのいない生活に順応してゆく自分が理解できるようになります。
 
具体的な手助けとして
・家族や友人に思い出や悲しみを語ること
・思い出を綴ること(アルバムや手紙、日記やHP掲示板などへ)
・同じ悲しみを体験した人の話を見聞きすること
やがてペットと過ごした楽しかった思い出や癒された時間を思い出し、
「一緒に過ごしてくれてありがとう」と感謝の気持ちへと変わっていく時期がやってきます。
それに伴って徐々に心も癒されてゆきます。
自分の人生が終わったわけではないというポジティブな気持ちとなり、
空間的にも精神的にもペットのいない生活を肯定できるようになり新しい生活を再構築していくことができるようになります。
 
お寺での供養で癒しを
ご家族と一緒に唱える読経の功徳により、
動物(ペット)達の色々な苦しみが無くなり、
来世での成仏(幸せ)をお祈り致します。
家族同様に長い時間を一緒に過ごされたペットを、
人間同様に、感謝の気持ちを込めて供養する。
悲しみから一歩前へ踏み出す力になると思います。

 
お彼岸の放生会でペット供養も行われます。
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