ちこういん

お経を読む

12月19日 こんにちは。
 
ご訪問有難うございます。
 
仏教には読経が付きものです。毎朝、読経からはじまります。
法事にしても、葬儀にしても、読経がその中心にあります。
読経しない法会もないではないが、いずれにしても何か唱える。

ただ静かに手を合わせ祈る。坐禅する。それだけでも良さそうだが、それでもその前後に必ずお唱えするものがあります。



読経とはいかなるものなのか。

読経の始まりはどのようなものであったのか。
私たちは今、呉や漢の時代に訳されたお経を読誦します。



 

その訳された経典は、もとはインドのサンスクリット語です。

その殆どが、お釈迦さま入滅500年から1000年が経過して創作され文字に書き残されたものです。



一方、南方上座部の経典は、お釈迦さまが亡くなってすぐ、釈迦直説を伝えるべく編集会議・仏典結集が行われ、編纂され、代表が唱え、それを皆で合誦(合唱)します。

 

この頃は文字に書き残されることなく、全てを各パート毎に分担して暗唱され、師から弟子にと伝えられてきました。これらの経典が始めて文字に記されたのは、西暦紀元前後のこと。この間4、500年は口誦伝承されてきました。



つまり経典を読誦して、暗唱し伝承されたのです。

経典は読誦されることで後世に伝えられたのです。
この世の中を幸せに導くお釈迦さまの教えを後の世に伝える。

そのとても大切な目的のために膨大な量の経典が読誦され、ひと言も漏れることなく、大切に暗記されていったのです。



だからこそ読経にはとてつもない功徳があるのだと思います。

大切なお釈迦さまの直説を後世に伝え、その教えを聞く誰もがその功徳に預かれる。今日ではそれは紙に印刷された経典を読むことになっているにしてもその精神は同じことなのです。



お経のなかに、お経は、私たちの周りにいる諸霊、神々に対してお釈迦さまが説法する内容もあります。霊たちに祝福を与え、人々に慈しみをたれ、人々を守れと命じ、そして仏教の三宝、仏法僧を敬い、中でも優れた修行を為す僧侶たちについて述べ、そうした仏法僧を礼拝し、幸福あれという内容にもなっています。



経典を読誦することは、お釈迦さま自ら言われているように、私たちの目に見えない、諸霊神々へ直接法を聞聴させ供養する意味合いもあります。

 

朝の勤行時から、大きな声で読経すると、まさしく心身共に浄化され癒しと法悦を味わうことが出来ます。

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