ちこういん

悟り

12月8日 今日は遅くなりました。
 
ご訪問有難うございます。
 
今日は特別な日でした。
歴史は進歩と共にあり、産業革命から、今日では「AI」という人工知能が私たちの生活に深く入り込んでいます。
 
つまり、とても便利で楽になりました。
 
でも、最新のトイレで慣れてしまって、普通のトイレで流し忘れることがあったり、自動ドアのつもりで、手動式の前でずっと気づくまで立っていたりと、恥ずかしいこともあります。
便利と不便と習慣に、心と頭がついていくのでしょうか。
 
成道
 
12月8日の夜明け前、お釈迦さまは「さとり」を開きました。 

さとりを開いたお釈迦さまは、その後、「ブッダ(目覚めた人)」といわれました。
 




 
しかし、お釈迦さまには、悩みがありました。
「さとった人が悩む」というのは、意外でしょうが事実です。

なぜなら、「さとり」とは、まったく悩みがなくなることではなく、「悩みを解決するためには、悩みと向き合わなければならないことに気づくこと」だからです。


さて、お釈迦さまの悩みは、

「私の見つけたことは、他の人々に分かってもらえるだろうか。」

ということです。
 

 
たとえば、当時のインドの常識では、きびしい修行をした人や、生まれながら身分の高い人だけが、生まれ変わっても幸せになれる、と信じられていました。
 
 
しかし、お釈迦さまは
「どんな人にも与えられた命があるのだから、それだけで尊いものだ」

とも考えていました。


まずわかったことは、
『人は生きているかぎり、悩みや迷いから、のがれられない』
ということです。
これは、当たり前のことのように思いますが、多くの人は苦しみを忘れようとして、ひとときの楽しみにふけってしまいます。
『苦しみから目をそらさない』

これが第1の道です。


そうして人生の苦しみを見つめれば、なぜ自分が悩んでいるのかがわかってくるはずです。
『苦しみには必ずその原因があることを知る』

これが第2の道です。


苦しみに原因があるのなら、その原因を取りのぞけば、もはや苦しむことはなくなります。

『苦しみの原因を取りのぞくこと』

これが、第3の道です。


そして、第4の道、
『その原因を取りのぞくためにする行いがあること』

が分かったのです。


それが『正しい行い』というものです。

これは、自分が正しいと思ったことではありません。

いつの時代にも、どこの国でも、どんな身分の人にも正しいものです。
その正しい行いが、お経に説かれているわけです。

 
随方毘尼(ずいほうびに)
 
真理は、時代・地域・人種・性別・年齢を問わず、万人に共通の根本法則です。
 

仏さまの教えに随方毘尼があります。
「随方」とは、地域の風習に随うこと、

「毘尼」とは、戒律の意味です。
 
仏さまは、さまざまな文化の多様性を認め、その在り方を最大限に尊重します。
これは、随方随時毘尼ともいい、仏法の根本の法理に違わないかぎり、各国・各地域の風俗や習慣、時代の風習を尊重し、それに随うべきであるとした教えです。
 
日蓮聖人は
「此の戒の心はいたう事かけざる事をば少少仏教にたがふとも其の国の風俗に違うべからざるよし仏一つの戒を説き給へり」
と教えます。


要するに、正しい法という根本基準を立てたうえで、成仏・不成仏という仏さまの法の根本原理に関する事柄でなければ、一般の風俗、世間の普通の約束事を尊重し、用いていくことを説いています。

 
それが日蓮聖人の説く法華経の教えです。
 
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