ちこういん

サンゲ(ざんげ)懺悔




懺悔について
 
お経の言葉
 
一切の業障海は 
皆妄想より生ず 
若し懺悔せんと欲せば 
端坐して実相を思え
衆罪は霜露の如し
慧日能く消除す
 
【大意】
世の中の過ちは、みな自己中心のものの見方、考え方からおこっているのです。もし、それを悔い改めようとするならば、相手の立場や気持ちになって、ものごとを冷静にみることです。
「端坐して実相を思え」
端坐とは威儀を正すこと、実相とは、真実の姿、大宇宙の生命の営みをありのままにみつめることが、仏教の懺悔の本来の考え方です。
太陽が昇って照り輝けば、たちまち霜や露は消えてしまうように、仏の智慧によって一切の業障は霜露のごとく消えていくでしょう。
 
 
懺悔滅罪の意義と功徳
「懺悔滅罪」とは、仏さまに対して自分の犯した罪過を正直に披瀝し、
二度と同じ過ちを犯さないことを誓って許しを請うことであり、
同時に自身の罪障消滅のため、正しく仏道修行に精進することをいいます。
 
語源を繙くと、
「懺」はサンスクリット語の懺摩(クシャマ)の音訳、忍の意味。
「悔」はその意訳で、追悔・悔過とも称し、罪を悔い告白して謝することをいいます。
 
西洋、キリスト教的な世にいう懺悔とは、ペニテンスという語(後悔・悔悛)をそのまま懺悔に置き換えたものであり、実体は自己の罪に対する悔俊の儀式、形式です。
聖職者を通じて神に自分の罪悪を告白することによって、心に鬱積しているものを吐き出し、許しを請い、気持ちを楽にしようとするものです。
 
しかし現実は、自ら自覚している罪は一つ二つだけではないはずで、一つ一つ告白し、許しを乞わなければ、その罪が消滅しないのだとすれば、罪をつくることの方が多くて、人間は永久にすくわれないことになってしまうでしょう。
 
ただ、人間の為に神が動物を作ったと聖書に示してあれば、生き物を殺しても懺悔はしなくてもいいのです。ある時代は人間も動物と見なされ、売り買いもされます。大自然の生き物も同じで、産業革命などで自然も破壊され、今では日本も同じです。
 
仏教をみると、蚊やアリを殺したりすることも、厳密にいえば下殺という殺生の罪になります。そうすると私たちは、日々の生活で気づかぬうちに、無数の罪を犯していることになり、こうしたことを、一つ一つ気にして、そのたびに懺悔していたのでは、ノイローゼになってしまうでしょう。
 
日本人の伝統的な信仰のなかにも、不幸や災厄といったものは外からやってくるものだという感覚があり、その不幸や、災厄を地蔵になすりつけて身代わりをさせたり、それらの原因と思われる人や物を祭り上げて、何とかことなきを得ようとしてきました。
 
そのような、罪の意識が希薄な精神土壌で、我が身の罪悪を悔い改める懺悔の思想は、人間関係が行き詰ったり、挫折したりといった人生の行き詰まりに直面した時にしか、なかなか自分自身を省みようとしないようです。
 


仏教の主体的行為である懺悔は、
古くは「布薩」と呼ばれる集会を半月ごとに開き、戒を破った者が大衆と僧の面前で自ら申し出、懺悔するという形をとり、心から罪への反省と浄化を図ることを目的として行われ、その懺悔の儀則や滅罪の相、その功徳は各経典に種々説かれています。

 
さて、人間の苦果を生ずる原因が究明されていき、懺悔滅罪の方法として天台大師は、摩訶止観に四種三昧という、修行に打ち込む者が日夜に修すべき五種の法華懺法「五悔」を説きます。
 
懺悔。 過去の所行・罪過を漸愧して発露し、相続心(執心)を断つ。
勧請。 懺悔の決意に対して如来の大慈悲の力を祈り求める。
随喜。 他人の善根を喜ぶ。
回向。 自らのなし得た善根を回して菩提に向かわしめる。
発願。 堅固な誓願を発して修行の退転を防ぐ。
 
以上の「五悔」を法華経修行の助行方便として日夜に修すれば、
その功徳は無量であると説かれています。

同じく『摩訶止観』には、懺悔に事理の二種があることを説いています。
事懺とは礼拝・誦経など身・口・意の行為に顕した懺悔で、仏教一般の懺悔はすべてこれに当たります。
そして理懺は実相の理を観じて罪を滅する懺悔で、精神的に深く懺悔の念を湧き出だすことが求められるために懺悔の根本行とも言えます。
事、理の懺悔、夫々に十種の懺悔を説いていますが、事の懺悔を少し紹介します。

事懺についての要約。

① 因果の理法が厳然とあることを信じる。
② 自らの罪を愧(は)じ責める。
③ 結果として堕ちる悪道を怖れる。
④ ささいな罪も正直に露わにする。
⑤ 一度改悔した罪を二度と行わない。
他者を利益することに徹する。
⑦ 身口意の三業を善に向け休まない。
⑧ 諸の善を守り、育み断絶させない。
⑨ 善友、善師になることを念ずる。
⑩ 一切の罪は妄想から起り、我に執着する処から生ずることを観ずる。

以上のようなものですが、

説明は簡単にと言っても、内容が入ってこないですね。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
 
ただ言えることは、懺悔とは、弱い自己との壮絶な戦いなのです。
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