ちこういん

理想と現実

10月25日 おはようございます。
 
ご訪問有難うございます。
 
理想の自分と、今の自分。
 


志を持つことは尊いものです。


理想は高ければ高いほど、

実際の自分とのギャップが大きくなることもあり、
また、適度なギャップはハリになりますよね。


でも過度になると、自分を苦しめ、欲求不満を引き起こします。

不安や焦り、不眠などで悪循環に陥ったり、
自分を責め続け、自己否定を繰り返すこともあります。


高い理想が、自分を保つ命綱になっている場合、
その奥には、とても強い自己否定や絶望が潜んでいることが多く、

その絶望感は、本来ある力を発揮出来なくしてしまう。

自分を卑下せずに、等身大の自分を認める。
自己否定を和らげ、あるがままの自分を認めていくことが必要です。

 
理想像は、心から生まれるものです。

煩悩という欲望も、上手く扱わないと苦しみの原因に。

やはり、「分を知る」ことが、幸せにつながります。


「諦め」
 
日本語で「諦める」といえば、
自分の願いごとが叶わず、それへの思いを断ちきる、
という意味で使われることが多いのではないでしょうか。
 
本来は、「つまびらかにする」「明らかにする」という意味で、
漢語の「諦」は、真理、道理を意味しています。


そうであれば、

ものごとの道理をわきまえることによって、
自分の願望が達成されない理由が明らかになり、
納得して断念する、という考え方も出来ます。
 
単に「あきらめる」だけであれば、
悔い、怨み、愚痴が残ります。
ものごとの道理が明らかになった上でのことならば、
納得しての「諦らめ」となります。
 
悟りを開かれたお釈迦様は、
四つの真理(四諦・シタイ)を説かれました。
第一の真理は、この迷いの生存は苦である、という現状認識。
第二は、その苦は飽くことなき欲望から生ずる、という原因究明。
第三は、その欲望の滅した境涯が、苦のない悟りであること。
第四は、悟りを得るには正しい八つの方法に依るべきこと。
というものです。
 
仏教は、私たちの苦悩の原因を、
飽くなき欲望と無知だと説きます。
 
自分の苦悩は、社会が悪いから、
あの人のせいだからしょうがないといって「あきらめる」より、
逆に、それは自分の欲望、無知に基因すると「諦める」ことができれば、

現状を受け入れ、解決の方法をみつけやすいのです。

あきらかに、みきわめる。
仏教の目的は、自分を知ることです。
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