ちこういん

「しつけ」と子育て

9月5日 おはようございます。

当寺では、土曜午後6時の法華経・御遺文勉強会や、子供寺子屋サタデースクール、座禅や写経など、地域の学び舎でありたいという思いから、日頃より各種イベントにも取り組んでおりますが、昨今の社会を見ますと、子育て、教育、しつけと虐待など、親御さんにとって難しい問題がございます。

仕付けと躾(しつけ)という言葉

はじめは、仏教語の習慣性を意味する「習気(じっけ)」から変化して、「しつけ」裁縫の「仕付け」武家礼法の「躾」といろいろな意味をもっていきます。
 
この「躾」という漢字を分解すると、「身」と「美」になり、「身だしなみを美しくする」と解釈できます。なるほど、よくできた漢字ですね。
 
岡本夏木先生(元京都大学・京都女子大学教授)の著作に、「しつけ」について書かれている文章がありましたので、幼児や小学生をもつおかあさん方に参考にしていただける話だと思いますので、ご紹介します。
 


ご存知のように、「仕付け」とは、着物の形が整うよう、仮に縫いつけておくことを言いますが、
そこで大切なことは、着物がやがて縫いあがると、仕付けの糸がはずされるということです。
着物の完成をもって、もはや仕付けの糸はそこにあってはいけないものになるのです。



先生は、「『躾』という字がもたらす意味よりも、この『着物の仕付け』を背景とする意味のほうが、子どもをしつける過程の本質をよく表しているのではないか」と述べておられます.


以下は、岡本先生の著述からの引用です。
(省略)五歳から七歳の子どもたちは、いよいよしつけ糸をはずしはじめる年齢にあたります。

それまでは親が外側から枠組みを与えて、子どもに行為や生活習慣をかたちづくらせていたのですが、いよいよその枠をはずして、子どもが自分の力でみずからの行為や生活習慣を生み出しはじめる時期に入っていきます。 

しつけ糸をはずすことは、いうまでもなく、子どもを本人の自立にゆだねることです。

しつけとは、もともと自立に向けてのしつけなのです。
外からの強制によって社会のきまりをあてがうことよりも、むしろそうした外的強制をとりはずすことをめざすものです。

しつけが不要になるようにしつける、といってよいかもしれません。
このようにのべてきますと、私のいう「しつけ」は、読者の方々が一般に「しつけ」ということばから受けとっている意味とかなり違っているといわれるかもしれません。

ふつうには、「しっかりと」とか「きちっと」「きびしく」することこそがしつけの第一の目的におかれるのではないでしょうか。

それに対して、私のここでいっている「しつけ」は、そういう外からの規制をとりはずして、不要なものにしてゆくことこそ、しつけのねらいなのだと言っているのですから。

とまどいを与えるようで申しわけないのですが、しつけの中で、そのねらいが見落とされていたら、それはけっきょく外見だけのしつけ、子ども不在のしつけに終わってしまうと思うのです。

以上のような内容です。
私も本当にそう思います。
 
子育てにおいて肝心なことは、
「しつけとは、やがてそれがはずされるものであるという前提に立って行われるべきもの」
のようです。

子どもにとって大切な、自分で考えて行動出来る自立心を養いたいものですね。
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Posted byちこういん

Comments 2

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平尾康彦  

No title

しつけ糸の外し方のタイミングが 悪かったと思っています。やたら手を出してしまっと後悔しています。自分の考え方に自信か持てる力を養えはっきり物事の判断ができる子育てをしていきたいと思っています。

2016/09/06 (Tue) 14:19

智弘院  

No title

> 平尾康彦さん
忍耐ですね。待つことも大切です。
子どもには可能性があります。それを発揮出来るよう、落ち着く家庭を作ってください。

2016/09/06 (Tue) 19:59

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