ちこういん

松葉が谷の法難

 826日おはようございます。
 
ご訪問、有難うございます!
 
朝の一言
 
仏法の邪正乱れしかば、
王法も漸く尽きぬ。
結句は此国、他国にやぶられて、
亡国となるべきなり。
日蓮聖人
 
お盆も終わって、すぐお彼岸だな~と思うこの頃です。
 
先日の台風で被害多数、お寺は片付けでまだやること一杯。
本堂瓦は、昨日瓦屋さんが修理してくれ、
50枚ほどでホッとしました。
 
そう言いながらも、明日はお寺の行事があります。
 
松葉が谷御法難会
 


1260年(文応元年)827日、鎌倉松葉ヶ谷の草庵で、
日蓮大聖人が襲撃を受けたことを法難と言います。
 

聖人は、1256年(康元元年)頃から全国各地に起こった飢饉や疫病の原因を、
立正安国論にまとめ、幕府北条時頼に訴えます。

 

しかし、このことは幕府の権力者達の怒りにふれ、
また諸宗の僧達も聖人に恨みを抱き、


8
27日、北条重時ら権力者を後ろ盾として、大勢の人たちが、

深夜に松葉ヶ谷の聖人お住まいの草庵を襲撃しました。
 
聖人はこの難を逃れ、一時、鎌倉を出て、
下総(しもうさ)国の富木常忍のもとに身を寄せられました。
 
松葉が谷には、現在「妙法寺」というお寺が建っています。
 

    妙法寺の法華堂

もともと草庵跡には、本国寺が建っていたのですが、
この本圀寺は、足利尊氏により、貞和元年(1345)に京都に移転され、
 
鎌倉幕府崩壊当時の四世日静上人の父は上杉頼重、
母は足利氏の女、または足利尊氏の母方の叔父と伝えられています。
 
その松葉ケ谷の跡地に、今度は後醍醐天皇の孫で、
護良親王の子の5世日叡上人が、延文2年(1357)に再建したのが妙法寺です。


 
江戸時代には、江戸市民はもとより、
大大名から将軍家までが帰依し、
11代将軍徳川家斉もしばしば参拝したとか。
将軍家や肥後細川、加賀前田、水戸徳川、紀州徳川など、
大大名の庇護のあった妙法寺には、素晴らしい彫りものがあります。
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