ちこういん

世法と仏法

 726日おはようございます。
 
ご訪問、有難うございます!
 
朝の一言
若し深く世法を識れば、これ仏法なり
日蓮聖人
 
この意味は、
世間で説かれる、それぞれの分野に関する意義や目的、理由を人々は様々な言葉をもって説いています。
具体的には、倫理や道徳、哲学や思想なども、政治や法律、経済などのあらゆる言葉も、商売や工業、農業などのあらゆる産業など、人間が生活していくためのなりわい、仕事も、その根本精神は全て仏法で説く「諸法実相」という真理に一致する、という意味です。
 
ですから仏教と生活は一体で、仏教の深い意義を知れば、世間の全てを自ずとよく知ることができる、というのが仏教なのです。


作家 山本周五郎氏の短編小説『武家草鞍』より





宗方伝三郎という武士が、藩の家督問題で退転し、
武士でなくとも清く生きようと苦労を重ねて生活しますが、
世間は狡猾と欺瞞に満ちていると絶望し、

山に入って死のうと思っているときに、ある老人に救われます。
 

老人宅でお世話になりながら、
藩に伝わる草鞋(わらじ)を編んで問屋に卸すと、
丈夫で履きやすいと評判になりました。
しかし、しばらくすると問屋から、伝三郎の作る草鞋は、
「丈夫すぎて客が買い換えないから儲けが少ない。手抜きをしてもらいたい」

と言われます。
 

再び世の中に絶望した伝三郎が旅立とうとしたとき、

老人は彼にこう言うのです。
「こなたは世間を汚らわしい卑賤(ひせん)なものだと云われる、

しかし世間はこなた自身から始まるのだ。
世間がもし汚らわしく卑賤なものなら、
その責任の一半はすなわち宗方どのにもある、
世間というものが人間の集まりである以上、
おのれの責任でないと云える人間は一人もいない筈だ。
世間の卑賤を挙げるまえに、こなたはまず自分の頭を下げねばなるまい、
すべてはそこから始まるのだ。」





「・・・あなたも往復三十里の山道を穿(は)きとおせる草鞋を作った、
そこに真実があるではないか、
こういう見えざる真実が世の中の楔(くさび)になってゆく、
ひとに求める必要がどこにあるか、
問題はまずあなただ、
自分が責めを果たしているかどうか、

そこからすべてが始まるのだ・・・」
 

そう老人が話した後、
伝三郎の元へ諸国を回って探していたという旅人が訪ねて来ました。

新しい藩主が、伝三郎を召し返すために家来に命じて探させていたのです。
 

伝三郎が、どうしてこんな山の中にいると分かったのか訪ねると、
たまたま寄った宿で草鞋を買い、
履き心地から故郷で我々が作っている武家草鞋だと確信し、

宿から問屋を教わりここにたどり着いたと云うのでした。
 

 
この話にあるように、
世の中がどうあれ、
他人がどうあれ、
私たちはそれぞれの立場で、
自分の為すべきことに、
誠意をもって向き合い、
責務を果たしていかなければならないと思うのです。
 
スポンサーサイト



ちこういん
Posted byちこういん

Comments 0

There are no comments yet.

Leave a reply