ちこういん

あたりまえ

719日おはようございます。
 
ご訪問、有難うございます!
 
朝の一言

衆流(しゅうる)あつまりて大海となる。

微塵(みじん)つもりて須弥山(しゅみせん)となれり
日蓮聖人
 
塵(ちり)が積もって山となる。
こつこつ積み上げる。
一歩一歩前に進む。
大切ですね。
 
今日は朝の一言遅くなりました。
お勤め後から、民生委員の会長さんと打ち合わせ。
子供たちの為にお寺が出来ること、体験してもらえること、
お年寄りのことなど、様々な企画が出ました。
これから益々、忙しくなります。
地域貢献もコツコツ続けることですね。
 
さて、
いつも衣を着ていますと、着物を着ている人に目がいきます。
普段着で着物を着る人は少ないですね。





夏は、まだ浴衣を着る機会があるかもしれませんが、
観光客の外国人が着物を着て歩いているのは、
なんとも、微笑ましいものです。
 
しかし、着物に詳しい人が見ると、
柄や生地が季節にあったものでなかったり、
何か着方がおかしかったりと、
さぞ言いたいこともあるでしょう。
 
着物を見る機会は少し増えてきたものの、
実際着物の市場規模を見てみると、
四十年前から比べると、現在はたったの15%ほどらしいです。
 
いまは、着物と言えば、
とても高価で特別な日にしか着ないイメージだと思いますが、
昔の人は普段から着物を着ていたし、
戦前は着物で生活している人も多かったのかもしれません。
 
また、現在着物に興味をもって着てみたいと思ったとしても、
高価なものしかないため、なかなか手が出せない。
 
しかも、長い間に作り上げられてきた伝統があるだけに、
しきたりや作法が細かく決まっていたりするので、
うっかり間違って着て、誰かに指摘されたらと思うと、
よけいに着物を着るのが億劫になります。
 
そうやって着物を着る人の裾野が狭くなってくると
ますます着物は限られた人だけの趣味となり、
結局近づきがたい閉じた世界になってしまうのではないでしょうか。
 
もしかして、これは仏教も同じじゃん!
 
お寺でもいろいろな作法がある。
そして作法に詳しい人は、作法と違う事をした人に、
それは間違っている、と言ってしまう。
厳しい人沢山いるなぁ~。
 
しかし、よくよく考えると作法というのは、
仏さまを敬う精一杯の気持ちが形になったものであり、
その気持ちがありさえすれば、多少の作法の間違いなどは…。
 
洗練された所作は美しいものです。
ただ、自分たちで敷居を上げて、
肝心の教えを広げることを妨げているとしたら。
 
形にこだわりながらも、
まずは、仏さまがせっかく残してくださった教え、
お気に入りの普段着のように、
大事に気軽に見に付けて欲しい。

お寺は、この夏休み
子供たちの為に、いろいろ企画して、楽しもうかな。
 
 
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