ちこういん

施餓鬼について

 713日おはようございます。
 
ご訪問、有難うございます!
 
朝の一言
また施餓鬼の事仰せ候。
法華経第三に云く、如従飢国来忽遇大王膳云云。
(中略)餓鬼供養の時はこの文を誦して・・・。
日蓮聖人
 
各地で祇園祭が行われています。
起源は諸説ありますが、疫病退散の為に施餓鬼棚にのって、祈祷水を撒きながら町を清めたり、飢えている人々に食べ物をふるまって、祈願してまわりました。
 
施餓鬼の形式は様々で、海辺に近いご寺院では、海施餓鬼流灯会や、船を出して盛大な川施餓鬼をするお寺など、地域の伝統行事として行われています。
 

能にもあります。
謡曲「鵜飼(うかい)」は日蓮聖人が川施餓鬼(かわせがき)をし、後にその縁起(えんぎ)によって作られた作品として有名です。



文永11年(1274)夏の頃、日蓮聖人が日朗聖人(にちろう)・日向聖人(にこう)と共に、甲斐の国、石和川(笛吹川)を訪れた時、鵜飼の翁(おきな)の亡霊(平大納言時忠郷)に出会いました。
 
聖人は日朗聖人が集めた石に、日向聖人が摺った墨を使い、
法華経の経文69,384字を河原の小石一石に一字ずつ書写し、
鵜飼川の水底に沈め、三日三夜にわたり施餓鬼供養をなされました。
 
これにより亡霊を成仏させた由来から建立されたのが、
石和山鵜飼寺(現在の遠妙寺・笛吹市石和町)です。
 
 
お施餓鬼の由来は、
『仏説救抜焔口餓鬼陀羅尼経
(ぶつせつぐばつえんくがきだらにきょう)』
に説かれています。
お釈迦さまの弟子の阿難(あなん)尊者が主人公です。
 
阿難尊者が一人で静かな場所に座り、学修している時のことでした。
夜も更けた丑三刻(うしみつどき)、「焔口(えんく)」という名の餓鬼があらわれました。

その姿は、身は醜く枯れ細り、口からは火を吹き、喉は針の先のように細く、見るのも恐ろしい形相でした。
 

餓鬼は阿難の前にじっと座り、そしていいました。
「阿難よ、お前の寿命はあと三日で尽きる。死んだ後は餓鬼となり、私と同じような醜い恐ろしい姿になるだろう」

びっくりした阿難は餓鬼に、
「どうしたら、その苦をのがれることができますか」 と尋ねました。
 

「明日の朝、無数の餓鬼と、バラモン(司祭者)に、多くの飯食(お供物)を用意しろ、そうすれば、その功徳によってお前の寿命は延び、私は餓鬼の苦を離れ、天上に生まれることができるだろう」
 

阿難尊者は恐れに震えながら、お釈迦さまにどうしたらそれほどたくさんの食物を用意できるか、助けを求めました。
するとお釈迦さまは
「限りない功徳があり、勝れて巧妙な思うがままの妙力をそなえる陀羅尼(だらに)」を示し、
「心配しなくてよい。この呪文を唱えながら餓鬼に食物を布施しなさい。そうすれば僅かな一食でも、たちまちにたくさんのおいしい食べ物になり、無数の餓鬼を満足させることができるだろう。またバラモンにも心のこもった食べ物を布施することになるだろう」

と教えました。
 

 
阿難尊者の目の前に現れた餓鬼とは何を意味しているのでしょうか?

その醜い姿は私たちに何を教えてくれるのでしょうか?

餓鬼とは飢えと渇きに苦しむもの。  
子供は目で食べるといわれています。
食事が済んだばかりでも、お菓子を見つけると食べたがります。
大人からみれば十分食べて満腹のはずなのに、
本人は目の前の食べ物に心を奪われ、自分の腹具合を考えません。
つまり、満腹を知りません。
 
このような限りない物欲(ぶつよく)が餓鬼なのです。
阿難尊者が見たものは、自分の心の中にある物欲にほかなりません。
 
物欲に支配されていると、自分本位に走り、
人を差別したり、傷つけたりします。
そこでお釈迦さまは、
物欲に支配された心を洗い、清らかにしていく手だてとして、

布施の修行を示し、供養を教えたのです。
 

自分だけ腹一杯になれば、それはそれで幸せでしょう。
しかし、それではどこまでいっても物欲に支配され、
自分で自分を縛ることになります。
 

他人の腹具合を考え、ものを分かち合う時に、初めて自分に縛られないもっと大きな安らぎがあることに気がつきます。
 

私たちが生きていく上で避けてとおれない「食欲」をたとえにして、
人間らしく生きていく道を教えてくれるのが施餓鬼であり、

ものを分け与えること、いいかえれば回りの人々の役にたっていくことが、布施の修行の意味なのです。
 

 
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