ちこういん

修行の心

76日おはようございます。
 
ご訪問、有難うございます!
 
朝の一言
慧(え)又堪(た)へざれば信を以て慧に代ふ。
信の一字を詮(せん)と為(な)す。
日蓮聖人
 
悟る、と言いますが、その世界に入るには智慧が必要です。
しかし、頭を切り替えたり、視点が変わったからといって、
悟ったり、問題が解決するものでもありません。
 
行いの積み重ねにこそ、本当の智慧が備わり、
その行いを支えるものが、信じる心です。
 
修行とは
 
他人の持つ財宝を数えたところでなんの意味があるでしょう。
その宝を自分の物にして初めて、その宝が活用できる。
修行という、自分自身の行いが大事なのです。




 
伝教大師は
発し難くして、忘れ易きは善の心なり
と、教えています。
 
修行の心は
 
私たちの気持ちには、
おいしいものをお腹いっぱい食べたい気持ちと、
健康を考えて、体に負担にならない少食菜食にしよう、
とする両極の気持ちが食事の時に顔を出します。
 
朝には
「まだ布団に居て起きたくない」と
「早起きするとすっきり気持ちがよい」とが葛藤しますよね。
 
他人は汗を流し智恵を絞って働いていても、
私は楽に過ごせるほうがいいのだと言い切ってしまう心もあります。
 
人は用事が有って忙しい時にはのんびり過ごしたいと思う。
暇があるときは退屈で仕方ない。 
 
人はないものを意識した時、
ねだって余計に欲しくなる裏腹な心に襲われます。
 
私たちの心には人が見ていないから悪いことしても構わない、
知らないからうそをついても構わない、
人が評価しないから力を抜いてやればよい、
などの心が顔を出す時もあります。

でも一番傷つき、許しがたいのは自分なのです。
 

そのような、あれこれの心に耐えながら、
前進するところに行があり、
両つの心を越えて生きようとするのが行です。
 
今持っている価値観より、もう一段高い価値観へと。
 


善の心を信じ、実践する
 
善の行いは「忘己利他」の心を持ちなさいと説かれています。
自分を数に入れず、人が喜ぶことを心がけることです。
 
人と共に取り組む共同性が大切ということ。
人と共に目的に向かう、
人と共に喜び合う、
人と共に難しさを工夫する、
人と共に力を尽くす。
これらに叶うのが善の心です。
 
善い行いが出来た後味は、すがすがしく心を満たしてくれます。
これを重ねながら生きていく生活、
そこにこそ、真の修行の姿があるのではないでしょうか。
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