ちこういん

お寺と社会

そうだ!京都行こう。
古の奈良に行こう!

 
お寺の桜が咲き、お天気も良いと名所旧跡に行きたいですよね。
長い間、守り続けてきた方々のおかげで、素晴らしいところばかりです。
 
でも、立場か性格か、どうしてもわたしは背景というか、裏側のことや維持管理の計算など様々に考えが出てきますし、いいところは盗もうと、その美しさを素直に楽しめないようです。
これも煩悩ですね。職業柄というものでしょうか。
 
さて、お寺って景色ですか?
文化財?博物館ですか?

 
確かに、お庭・建物・仏像・年代物に国宝など。
職人技の日本の歴史の象徴です。
でも、それだけじゃないことを知ってもらいたいのです。
 
お寺と社会は、つながっていますよ!
 
詳しくは書けませんが、
最近の私のお寺のご相談には、このようなことがありますよ。
 
300日ルールで、以前に仕方なく中絶した水子の供養。
何年も心に傷が残っています。
 
不倫など、寂しさを癒してくれる依存。
 
DVと離婚問題。

反対に、結婚についてのご相談も。

リストラ。再就職探し。
 
独居老人の孤独死。
 
事故の遺品整理と供養。
 
工事現場の幽霊さん。みんな見るんですって!
 
他にもいろいろです。

それに、人間関係の悩みは時間が必要です。
家庭の問題
親子の問題
心の病
すぐに解決しない問題がいくつもあります。
 
お寺は、目の前の悩み苦しみに寄り添いながら、社会を観ています。
 

欲張りや自己中心的に生きる世の中にならないように。
悩み苦しみがふえるだけです。
 
でもホントは、仏教が今の世の中を作っているのかも。
いや、仏教よりお坊さんのほうかな。
 
願い事を叶える、御利益製造機にお寺をしちゃったかも。
初詣に厄除け、パワースポットなどなど。
コンビニの数より多いのがお寺。人の心も変わりますよ。

お坊さんの一人として、責任を感じます。猛省です。
このままじゃいけないと思うのです。
 

仏教?
占い等、何か神秘的なものだと思っている人も多いのでは。

仏教も同じ感じでしょうか。

結婚式やお葬式。大安とか仏滅とか。
くじを引くと、吉とか凶。
何か神秘的で、非科学的なものと、ごっちゃにしてないでしょうか?


仏教は非科学的?
やはり仏教と聞くと、現世利益を神や仏に拝んだり祈ったり、あるいは祈祷をしている非科学的なものではないかという印象があります。   

 
ところが、仏教の御経には、こんなことが説かれていますよ。
「如来の法の中に吉日良辰をえらばず」(涅槃経)  

「天を拝することを得ざれ、鬼神を祀ることを得ざれ、吉日日を視ることを得ざれ」(般舟三昧経)
(天を拝んではいけません。死んだ畜生や人間の霊を神とする「鬼神」をまつってはいけません。大安や仏滅などの日の善し悪しを見てはいけません。)

「占相を離れ、正見を修習し、決定して深く罪福の因縁を信ずべし」(華厳経)
(占いをやめ、ものごとを正しく見て、深く因果律を信じなさい。)


このように、「拝んだりまつったり、占ったりしてはいけませんよ。

『因果律』を信じて、頑張りなさい」というのが、本来の仏教なのです。

ですから仏教は、拝んだらお金が儲かり、成績があがるというより、

因果律により、お金が欲しければ働きなさい、成績を上げたければ、
勉強しなさいと教えられているのです。当たり前か・・・。
 

『因果律』とは?
まずは、『すべての結果には、必ず原因がある。

原因なしに起きる結果は、万に一つもない』ということです。
 

これを『因果の道理』と言われますが、因果の道理を根幹として説かれているのが仏教です。

一切法(万物)は因縁生なり。(大乗入楞伽経)
仏教は因縁を宗とす。 (維摩経)
 

『因縁』って?
ところが、それだけではありません。
仏教では、直接的な原因の『因』だけではなく、間接的な原因の『縁』を考え、因と縁がそろって初めて結果が現れるということです。

因だけでは結果は現れないし、縁だけでも結果は起きません。
これが真理なのです。

例えば米がとれるという結果が現れるには、もみだねという因が必要です。
しかし、いくらモミだねを床の上や北極にまいても米はとれません。
温度や水、空気など、色々な縁がそろって、はじめて米がとれるのです。

 

因果の道理
この因果の道理について、放射線防護学、平和学などの立命館大学名誉教授、安斎育郎(あんざいいくろう 1940~)先生は、非常に科学的だと言っています。
「仏教の大事な考え方に、“因縁因果の思想”がある。
“因”は直接原因、“縁”は周縁的・背景的・間接的条件を意味する。 
だから、“因縁因果の思想”とは、“物事は、直接的原因と間接的条件が重なって起こる”という非常に科学的な考え方にほかならない。
原因もなく超常現象が起こることを容認する“超能力志向”とは明らかに違う。なんと合理的な考え方ではないか。」

 
さらに、この『縁』まで考えることのすごさを、東大教授で比較思想学会を設立し、仏教学の権威であった中村元(なかむらはじめ 19121999)先生によれば、
「科学の因果律は、原因と結果のみですが、仏教ではあらゆる縁も考える所から、科学では偶然としか思えなかったことも、すべて結果を生み出す縁として、積極的に意味づけされる」と、説明しています。

文明開化が速やかにできたのは、日本人が親しんでいた仏教のおかげとしています。

本来の私たち日本人は、何となくでも、お釈迦さまの教えを通じて、このような総合的因果論に親しんでいたのだと思います。


明治以降、欧米の科学思想が入ってきたとき、仏教と対立することなく科学思想を受け入れることができました。近代ヨーロッパにおける科学とキリスト教との対立を考えると、日本人はこの点で一歩進んでいたといえます。

これは仏教のおかげだと思うのです。
 
4月8日のお釈迦さまの誕生日に、お寺が景色にならないようにと、思った次第です。
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