ちこういん

俺が一番

おれ、最強!
 
天上天下唯我独尊
「この世界で俺が一番」と、生まれたばかりの子供が七歩あるき言いました。
 
その人は、4月8日生まれのお釈迦さま
 

 
まさか暴走族ではないので、そんな意味じゃないですよね。
 
本当は「我」を「我々」と解釈して、わかりやすく言うと
『私たち誰もが、自分という存在は誰にも変わることのできない、生まれたままで、この命は尊いのだ。』
ということです。
 
現実の世界に置き換えると、とかく何事にも優劣をつけ他人と比較して優越感に浸ったり、劣等感に陥ってしまいがちです。
人間の命の尊さは、能力、学歴、地位、名誉、財産などの有無を超えて、そのままで尊い『自分』を見だすことの大切さを教えている言葉なのです。
 
悩みや苦しみ、壁にぶつかっても、
私たちの人生は、決して無意味ではありません。

人生は無意味な悪の連続(トルストイ)でもないし、
人生とは無益な受難(サルトル)でもありませんし、
生まれてすみません(太宰 治)でもありませんよ。

 
必ず、目的、意味があるのです。
 
盲亀浮木の譬(もうきふぼくのたとえ)
 
お釈迦さまがあるとき、阿難(あなん)というお弟子に、

「そなたは、人間に生まれたことをどのように思っているか?」
と尋ねられました。

「はい。大変よろこんでおります」と阿難は答えました。
 

お釈迦さまが、「では、どれくらい喜んでいるか?」 
と重ねて尋ねると、阿難は答えに窮しました。

するとお釈迦さまは、一つの例え話をされました。
「盲亀浮木の譬(もうきふぼくのたとえ)」
 
「果てしなく広がる海の底に、目の見えない亀がいる。 

その亀は、100年に1度、海面に顔を出すのだ。 
広~い海には、1本の丸太棒が浮いている。
その丸太棒の真ん中には、小さな穴がある。
 
丸太棒は、風のまにまに、波のまにまに、
西へ東へ、南へ北へと、漂っているのだ。」
 

阿難よ。 
「100年に1度浮かびあがる、その目の見えない亀が、 
浮かび上がった拍子に、丸太棒の穴に、
ひょいっと頭を入れることが有ると思うか?」
 
 

聞かれた阿難は驚いて、 
「お釈迦さま、そんなことは、とても考えられません」 
と答えます。 

「絶対にない、と言い切れるか?」
 

お釈迦さまが念を押されると、 
「何億年×何億年、何兆年×何兆年の間には、
 ひょいっと頭を入れることがあるかもしれませんが、
 
 ない、と言っても良いくらい難しいことです」 
     

と、阿難が答えると、 

「ところが、阿難よ。 
 私たちが人間に生まれることは、 
 その亀が、丸太棒の穴に首を入れることが有るよりも、 
 難しいことなんだ。 
 有難いことなんだよ」 
と教えられています。

 
 

こうして人間に生まれる難しさについて、お釈迦さまは教えておられるのですが、私たちは現実生活の日々の悩みや苦しさに、喜んでいるどころか、 
「何で生まれてきたのだろう…?」 
「生まれさえしなければ、こんなに苦しまなくて良かったのに…」 
と恨んでいる人さえあります。

 
 
生まれてきてよかった!という喜びがない。
それは、『生きる目的』がわからないからです。
 

自分が何のために人間に生まれてきたのか。 
何のために生きているのか。 
なぜ苦しくとも生きねばならないのか。

 
この大疑問に対し、「真理を悟る」ことによって答えを出されたのが、お釈迦さまです。

 

生きる目的を知り、生きる意味に気づいた時、
「生まれてきて良かった!!
と大きな喜びを味わうことができるのではないでしょうか。

 
天上天下唯我独尊

天の上にも
天の下にも

唯 我々 人間だけになしうる
たった一つの尊い使命がある 

 
4月8日は、お釈迦さまのお誕生日です。
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