ちこういん

親子関係の歪み

親子の絆とは。


お寺におりますと、親子関係が子供の苦しみになっている方が、昨今、多くいらっしゃるようです。昔とはちがって、心の弱さ、生きる力の低下を感じております。
親子の関係から引きこもりに、そして腹の探り合い
 
子どもと親の関係のなかで、子どもは弱者です。
子どもは親の無条件の愛を求めるとともに、親に見放されることに最大の恐怖を感じているので、親に気に入ってもらい、愛してもらうために必死です。
 
必死ですから、親の本音、親の期待をキャッチするのも上手で、そうやって捉えた親の期待に合わせて、親にとっての「よい子」を演じようとします。
 
こうして、親の期待にコントロールされる「よい子」ができあがってしまうことがあります。
 
よい子の要素は、ほとんどの子どもにありますが、親の無条件の愛を実感できない子どもにより強く生じます。
 
なぜなら、親の期待に応えることが、親に愛される条件だと思うからです。
しかし、どんなに子どもが頑張っても、親は子どもがよい子の演技をしていることに気づかず、「子育てがうまくできているから、子どもがよい子になっている」と思っているので、親は従来の子育てを見直すことはないので、子どもが望むような無条件の愛は得られません。
 
子どもは、不満と親に対する怒りや憎しみを溜め続け、被害者意識を持つようになります。
 
また、よい子を演じるには、子どもはよい子と反対の自分を抑圧し、自分がやりたいかどうかよりも、人の期待に合わせる事にウエイトをおきます。
 
しかし、それを頑張ってやろうとするので、行動が義務的になり、生きている実感を得にくくなります。
 
さらに、抑圧によって表現を否定されたエネルギーは、強いストレスになります。
 
なかには、よい子を演じるのが下手な子どももいます。
その場合、子どもは自信を失ったり、親にとって手のかかることをすることで親に関心を向けてもらおうとしたりします。
 
親子関係とは人間関係の基盤ですから、親に対してよい子を演じようとする子どもは、親以外の人に対しても、よい子を頑張って演じることで、自分を認めてもらおうとしていきます。
 
しかし、親への不信が他者への不信につながりますから、このような子どもは相手に心を開きにくいのです。
 
また、相手の期待に沿っているかどうかもわかりませんから、相手が自分を認めてくれているかどうかがわかりません。
 
そのため、人に気を遣い、いやなときでも「ノー」と言えず、対人緊張、対人恐怖が強まります。
 
また、周囲の人の期待に義務的に合わせる生活はストレスを増やしますから、さらに人間関係は辛くなり、やがて人間関係を避けるようになり、ひきこもり状態にいたります。
 
現れ方の違いはあるとしても、こうしたことがひきこもりの基本型です。
 
親子の触れ合い
接触が途絶えると、親はどう対応したらよいのかわからなくなります。
本人も、「親と接触すると、いやなことを言われたり、押し付けられたりするのではないか」という恐怖があり、親になかなか接触できません。
 
双方が腹を探りあい、この状態が何年も続くのです。
 
親との接触を絶っていても、本人は親に無関心なのではありませんから、
「親が自分のことをどう思っているのか」
「両親は自分のことを嫌っているのではないか、だめな人間だと思っているのではないか」
などと、気にし続けています。
 
しかし、本人は否定的な状態にありますから、「親も自分のことを否定的に捉えている」と思っています。
 
それで両親が何か話していると、
「自分の悪口を言っているのではないか」
と気になって聞き耳を立てたり、普通は聞こえないような小さな話し声でも、ちゃんと聞き取っていたりします。
 
対人恐怖はひきこもりの人に共通する症状ですが、「うつ」も同じです。
 
身近な人との死別、受験の失敗、失業、失恋、誰でも人生で必ず深刻なつまずきを体験するもので、過剰なストレスをためることによってうつ的な状態は起こります。
 
「ひきこもり」「うつ」は、しんどくて、ものごとにきちんと取り組めない自分を責め続けますから、落ち込みが強くなり、心の闇に入り込んでいる状態ですから、こんな状態のときは、「死んだほうがまし」「死んだら楽になる」といった否定的な誘惑が心から出てきます。
 
ストレス過剰によって心を閉ざすことで、しんどい人間関係を避け、否定的な生き方のひずみが明確になっていく。
 
「親はどう思っているか」
「自分ではどうしたらいいかわからず、親に助けてほしい」
「やはり親は以前のままだ。何もわかっていない」
子どもは、親が自分のことをどう思っているのかを全身で感じとろうとしていますから、親の本音を見抜くことがとても上手です。
 
否定的な状態のときは、否定的なことをキャッチする力が強いので、親の子どもに対する否定的な見方は、かならず見抜かれてしまいます。
 
子どもの心が傷ついていても、癒すことのできる無条件の親ごころ。
 
子育てにおいて、日頃の子どもとの信頼関係をつくっていくことが大事でありますが、現代社会の厳しい現実や意識の中に「お金がなければ家族は幸せになれない」というような生き方で、仕事重視のご家庭など、子供の心が置き去りになっていることもあります。
 
大人の生き方は、子どもから見てすばらしいと感じられる生き方でしょうか。
子どもは、幼くても人間としてすばらしい生き方を見分け、感じとることができます。
 
症状がなくなることへの不安
「ひきこもり」や「うつ」その他、生活が症状一色で明け暮れているのか。
 
たとえば、拒食でも過食でも、強い摂食障害の人は、1日中食べることばかり考え続けたりします。
 
また、強い不潔恐怖の人は、いつも、「ひょっとして汚れたのではないか」と思い、その不安を消すための強迫的、儀式的な行為を繰り返すので、毎日それでヘトヘトになります。
 
本人は、「症状が問題のすべてであり、この症状さえなければ、ちゃんとできるようになる」と思いがちです。
 
しかし、実際には、症状は人間関係がうまくいかない根本原因ではなく、さらに症状を敵視して症状をなくそうとがんばるほど、症状への関心が強まり悪化しがちです。
 
さらに、症状が続いてしまう理由があります。
 
症状があるほうが本人にとって都合がよいため、症状を温存してしまうのです。
 
症状で苦しんでいるはずの本人にとって、都合のよい点とは?
まず、症状が自分や親に対する言い訳になります。
「ちゃんとできないのは、この症状のせいだ。自分のせいではない」
という言い訳です。
 
たとえば、対人恐怖があるときに、「人間関係がうまくいかないのは対人恐怖があるからだ。対人恐怖がなければもっと人間関係はうまくできているはずだ」といえるのです。
 
それから、症状をとおして、あるいは症状があることを理由にして、これまで自分を支配してきた親を支配し返すことができます。
 
不潔恐怖の人が、汚れたと思う場所を母親などに拭かせる。自分で拭くと、自分の手に汚れがつくのが不安だからといって、自分の決めたやり方を母親に強要し、少しでも違うと怒り出したり、何度もやり直しをさせたり、「汚れたのではないか」と不安に思ったタオルや家具などを、次々に捨てることを親に強要することもあります。
 
症状があることで、親を支配できるのです。
このように、症状があるほうが本人にとって都合のよい面があるので、「症状がつらい」と訴えながらも、本心から症状をなくしたい思っているのかどうかが自分でもはっきりしなくなります。
 
長期間の症状がある人は、「症状がなくなること」も不安になっていることがありますので、症状が、ある意味、自分の支えや張り合いのようになってしまっているのです。
 
言葉は適切ではありませんが、親子の愛憎、寂しさ、積年の恨み、抑圧、様々なものを感じるのです。
 
長い間の歪み、心の苦しみ、心の病は簡単ではありません。
 
正論だけでは物事は解決いたしません。
苦悩に寄り添うことが出来たら。
 
幼いころから、「五常の徳」や心の強さ、慈悲心を身に付けていく教育、そのような社会の意識変革が望まれます。
 
お寺は、人の悩みに接し、仏さまの教えとご先祖さまの供養などを通して、健やかな家庭生活を取り戻すためのサポートをしております。
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