ちこういん

こわいお稲荷様もいます。

細草初午祭
当寺御守護の細草稲荷大明神の初午祭が6日に行われました。
 
初午とは二月の最初の午の日に、祭日として行われる神事を言います。
代表的なものは京都伏見の稲荷神社の祭礼ですが、この日は全国各地の稲荷神社や祠で初午祭が行われ、二の午・三の午と続ける地方もあります。
 
初午の日に京都の伏見稲荷の祭神「御食津神」が降臨された故事から、この日が稲荷祭りになりました。
伏見稲荷の縁起によると、初午の日を稲荷の縁日と定めたのは、祭神が伊奈利山の三箇峰に降りたのが和嗣四年(711)二月の初午の日であったからと伝えています。
 
稲荷の名は「稲生り」から来たという説もあり、食物の神、農耕の神とされ、祭神は宇迦之御魂の神で、五穀をつかさどる農業神でした。
 
農村では、初午の儀礼は春の耕作の初めに田の神を山から里にお迎えするという意味もありました。
昔の人は、稲の実ったころにキツネが山から降りてきて子ギツネを育てる姿を見て、先駆けを意味するミサキ、オサキと言ってあがめるようになりました。
このことから稲荷神社の神の使いがキツネとなり、キツネを田の神の使いとみなすようになったからです。
 
それから、全国に、村や町の神社としてだけでなく、商工業者の守り神や同族神、個人の屋敷神として祠がたくさん祭られるようになっていったのです。
 
江戸時代には田沿意次が邸内に稲荷を祭って出世したところから、町民に稲荷が開運の神として非常に盛んに信仰され、町々の小網や屋敷神には、圧倒的に多く稲荷が祭られていました。
 
また初午は、江戸時代では、子供が寺小屋へ入門する日でもあったそうです。
京都では稲荷山の社に美しく着飾った人々がたくさん詣でたり、大坂では大坂城の馬場に人々が集まって凧揚げが行われ、皆でお弁当を食べて遊ぶのが初午稲荷祭りの光景だったようです。
2種類のお稲荷さま

稲荷神というと、実は大きく二つに分かれます。

秦氏と共に渡来した稲荷神は倉稲魂尊(ウガノミタマノミコト)といって、スサノオ大神の系統を引く、食物に関わる神さまで、日本全国に広くお祀りされております。

 
豊受大神(=倉稲魂尊)
豊受大神は、まさに稲の霊であり、その象徴であるウカノミタマも稲穂を持ってます。
 

 
ここからは言いにくいのですが、稲荷信仰に熱心な人は、浮き沈みが激しく、御利益と祟りが大きいのでご注意を。

「荼枳尼天」を祭った稲荷神社
荼枳尼天とは真言密教と関わり、インドの女神ダーキニーのことで、民衆の願いをかなえる目的で勧請されました。平安時代より貴族達の求めに応じて、金銭の絡む呪詛を負わされたりしました。
荼枳尼天とは本来、人を食らう夜叉、また羅刹であり、祟り神の一種です。中世には霊孤と同一視されるようになります。
神仏習合の流れもあり、荼枳尼天と稲荷神は習合される事となり、真言宗が全国に布教されるとともに、荼枳尼天の概念も含んだ状態の稲荷信仰が全国に広まることとなります。

荼枳尼天(ダキニ天)

人の死期を6ヶ月前から予知し人肉を食べる女夜叉が前身で、最初は豊穣を司る女神でありましたが、性や愛欲を司る神となり、そして夜叉へと変わっていきます。
仏教に取り入れられてからは大日如来の説法を受けて善神となり、臨終を待って死者の心臓のみ食べることを許されました。人の魂を食う代わりに欲望を叶えるといわれ、相手に災いが及ぶように祈祷する呪詛修法に利用され、織田信長や徳川家康は天下統一の為に荼枳尼天を信仰したとされています。



見返りを求める

稲荷信仰というのは、確かに、一見御利益があるように見えますが、無理なお願いや、努力なしの商売繁盛などを願うと、その時はパアッと景気が良くなることがあります。しかし一定期間経つと景気が落ち込む。そこでまた頼むと、景気が上向きになる。

しかし、実のところ、これは景気を前倒ししているだけであったり、子孫の徳まで前借しているだけで、本当の利益ではないので、それが分からずに頼んでばかりいると、眼に見えない借金を抱えることになります。


こうなると、闇のサラ金に手を出したような状態になり、後から後から高い利息が追いかけてきて、生かさず殺さずのがんじがらめの状態となっていきます。

 
私が、稲荷宮のお祓いや閉眼供養やお焚き上げをして、その後始末をしてきたなかで、それぞれのお宅の事情に接して感じたもの、見せられたことがいろいろあります。(運勢を抑えられたり、怒りをかって火が出たり、病気など)
 
人の魂と引き換えに欲得を叶える神様。
信じる、信じない、はご自由ですが、そんな神様もいるということです。
 
 
大切なのは自分自身の努力と「分」を知ることです。
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ちこういん
Posted byちこういん

Comments 2

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fis*****  

No title

稲荷心経(偽経)をあげられたのでしょうか。荼枳尼天様と、霊獣の狐が結びついたのは平安頃でしょうか。畏怖、畏敬の念は時代だから、と無くすものでもありません。稲荷信仰は怖いと漠然と感じる方も現代においてもいらっしゃいます。『怖い』と感ずる方は漠然とが払拭出来る機会となったのではないでしょうか。

2016/02/08 (Mon) 08:17

智弘院  

No title

時代もあり、軽薄というか、棚から牡丹餅のような気持ちが目立つように思います。
都合の良い信心というものが多くあり、勝手信仰というものもある中で、何事も地に足をつけて、誠実に神仏と向き合っていただきたいものですね。
正しく清き心に神仏の御加護もあるのですから。

2016/02/08 (Mon) 18:16

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