ちこういん

星に願いを、節分に星祭り

「星に願いを」というと、映画の主題歌が思い出されます。
 1940年のディズニー映画『ピノキオ』で有名ですが、そういう話ではなくて節分のお話です。
 
今では、節分は「豆まき」か「恵方巻」でしょうか?
 
お寺では、節分星祭りというものがあります。
節分とは「陰」から「陽」へ節分の日を境に「気」が変わる一年の節目であり、その節目の日に一年を通じて身についた穢れを祓う、大掃除のようなことを行うわけです。

星祭とは、節分にその一年の年周りの星をお祭りすることで、立春に移る前日(大寒の終わる日)、新しい季節を迎えるに際して来たる年の平安を祈願し、人間の運命を支配している北斗七星・九曜星・二十八宿を供養して、九曜尊星中の各人当年の尊星をお祭りして、除病延命、無病息災、健康と厄除け開運などをお祈りするのです。
 
妙見大菩薩(妙見さん)について
私たちが北の夜空をながめると、不動の星を見る事ができます。この星を北極星と言い、この星を神格化したのが「北辰妙見大菩薩」です。

一般には「妙見さん」として愛称されています。

太古の中国では、太陽・月・星の運行を神秘的なものとして崇め、星を見て政事を行いました。そして、北天に輝く北極星を中心に、運行しているのを見てこの星をとして尊崇しました、それが妙見信仰の起源であります。

北極星を中心に北斗七星と周りの星々を北辰と言い、北辰妙見信仰の一部をなしてます。

「北辰妙見大菩薩」は、宗教宗派によって様々の尊名で呼ばれています。

道教では、「鎮宅霊符神」や道教の最高神「元始天尊」の化身である「玄天上帝」
また「太一」・「北極紫微大帝」など時代や教義によって色々と変化しながら北辰に纏わる神々として篤く信仰されています。
 
また、神道では、「天之御中主神」(あめのみなかぬしのかみ)。
陰陽道に於いては道教に準じ「鎮宅霊符神」崇められております。
仏教に於いても「北辰妙見大菩薩」「北辰尊星」など呼ばれています。

 
その姿は日蓮宗においては、亀に立ち剣を地に立てている立像と、受け太刀の能勢型と言われる座像の二形態あります。



亀に立つ立像は、先に挙げた「玄天上帝」の逸話に因るものと思われます。
 
「殷の紂王の時、魔王が民衆を傷付ける事件が起こった。
それを知った元始天尊は、玉皇上帝に向かって玄天上帝に魔王を討たせるよう命令した。
命を受けた上帝はざんばら髪に裸足のまま兜をかぶり、六丁六甲の神将たちを従えて魔王と戦った。
魔王が青亀と巨大な蛇に変身すると、神力で足下に踏みつけて地獄に送り、天上に凱旋した。
そして元始天尊は玄天上帝の尊号を与えたといわれる」
 
この故事により、岩上の青亀の上に立ち、白蛇を体に巻きつけ、二本の手で剣を地に立てて、睨みをきかしている姿をしています。また、亀と蛇が絡み合っている姿を「玄武」と言い、北の守護神として祀られています。


座像の能勢型は、真如寺の寺歴によると、室町戦国時代日蓮宗の僧侶「日乾上人」よって創作されました。


 
能勢の領主能勢頼次は、日乾上人の法話を聞き深く帰依され、頼次の要請に応えて能勢の地に屋敷を構え布教の拠点とされました。現在の真如寺です。
日乾上人は能勢家に古くから伝わる、「鎮宅霊符神」を法華経の守護神「妙見大菩薩」とし、その尊像は鎧を着て、右手で太刀を頭上にあげ、左手で金剛印を結んでいます。

この尊像を頼次は為楽山の頂上に妙見堂を立て「妙見大菩薩」を祀りました。これが能勢妙見の始まりです。それ以来関西随一の霊場となっています。



その御利益は、国土を守り、様々な悩みや災いを消し去り、敵を退け、寿命を増す大菩薩と言われています。
災いを除き、福を招き、家を鎮め繁栄をもたらす「鎮宅霊符神」の要素と、北極星が航海の目印となることから海上安全の神、また海上貿易で利益を得ていた大商人が帰依したことから商業の神、そして妙見という字面から、眼病平癒の神として民衆の間に信仰が広まりました。

また、江戸時代の僧侶の学校「檀林」の守護神として、知恵の神として祀られ、今は受験の神として信仰されるようになりました。

当寺でも、節分は星祭り。
北極星・北斗七星・九曜星・二十八宿という、天の星々に経を読み、祈りを捧げています。
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Posted byちこういん

Comments 2

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fis*****  

No title

星供、本来は道教の祭儀、仏教では、密教系が中心かと存じておりましたが、貴寺でも執り行うのですね。
大切な事、堅持していきたいものです。

2016/02/02 (Tue) 07:55

智弘院  

No title

星供と共に、暦も役立てております。
九星気学(暦)は、天地の理で、農業、漁業など当寺の土地柄必要なものですし、また家相や方位、五黄暗剣殺なども気を付けておりますので、日々の生活で助言をしております。
迷信や偏り、占いの類だけになりますと、本分を忘れてしまいますが、使い方によっては人生の為になりますので、何事もバランスと心得ております。
何より、祭事は今の日本人に足りなくなってきた畏敬の念、感謝の念を喚起する思いもあるのですが、商売と受け取られることもあり、何とも寂しい限りです。

2016/02/02 (Tue) 10:28

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