ちこういん

大切なものは目に見えないもの

当寺では、本日(毎月第四土曜日)法界萬霊供養を行ないました。
全ての精霊に浄水や飯食、供物を施す供養です。
 
現代社会においては核家族化や、故郷を離れ新しい土地に行くなど、先祖代々の土地やお墓から離れたところで生活を送る方が少なくありません。昔と今では生活も考え方も変わってきました。
 
その社会を映し出すように、最近このようなお悩みの方が増えているんです。
 
様々なご事情のなか、ご供養はしたいけれど出来るところがない。
菩提寺が遠くて行けない。お墓参りも出来ない。
菩提寺がない、そもそも付き合いがない。
お墓を守る継承者がいない。
まだ仏壇もお墓をもっていない。
自分の家の宗教がわからない。

※菩提寺とはご先祖様や実家が、お位牌やお墓を置く檀家寺のことです。

本日も御供養の前後に、新参加の方のご相談を受けたのですが、仏事・法事というものの意義が現代社会で失われている現実を感じておりますし、また、仏事に関わる親戚同士の問題を相談するところや、聞いてくれるお坊さんが少ないようです。
 
仏事・法事とは、簡単に言えば、仏の事業、仏のはたらき、行いということです。
亡き人を供養することを通して、仏さまの教えと出逢い、教えをいただき、私たちが「人として生きるとは、どういうことか、どう生きたらよいのか」を考える機会でもありますし、現実の諸問題を解決に導くための智慧、気力をもらえるものでもあるのです。
 
人生をイキイキと生きること、喜び、使命に自分で気づくことは難しいことですが、供養の心とは、古人と向き合い、前を歩いてきた先人たちから学ぶことが出来るものなのです。
 
大切なものを大切に出来る心
目に見えないもの見えるもの
形のないもの形あるもの
先祖家族  
 
仏さまも神さまも御先祖さまも、目に見えず形もないものです。
だから、おろそかにも適当にも出来てしまう。
 
それは、人間関係でも、家族でも、仕事上でもそうだと思います。
人の心も気づかないものですし、ないがしろにしてしまうことがあります。
 
目に見えない心にこそ目を向ける
亡くなった人は、何も言いません。
もういないし、生きている自分たち家族の生活のほうが大切。
そう思えば、御供養はいらなくなっていくでしょう。
しかし、御先祖の供養は仏壇がなくても、位牌がなくても、ご自宅で場所さえ決めれば、お水やお茶、温かいご飯などをお供えすることで供養になるのです。
 
生きている私たちだけではなく、見えないものこそ大切に出来る、そんな心を育むことが大切ではないでしょうか。
 
四生六道法界萬霊

全ての精霊のことを仏教では三界万霊とも四生六道法界萬霊とも言います。ありとあらゆる精霊のことです。

三界とは欲界(食欲・物欲・性欲の世界)、色界(物質の世界)、無色界(欲も物もない世界)の三つの世界をさして、私たちが生まれかわり死にかわりする迷いの世界のこと。
十方とは四方八方に上下を合わせた方向で、全ての世界ということ。
萬霊とはありとあらゆる精霊のこと。
四生とは卵生(卵から生まれるもの)、胎生(母胎から生まれるもの)、湿生(湿気の中から生まれるもの)、化生(過去の業力により、よりどころなしに忽然と生まれたもの)という生まれ方。
六道は地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上という六つの生まれてくる世界のこと。

私たちの先祖は二十代遡ると実に百万人を超し、遡るほど数えきれないほど多くの命とつながって、現代の私たちが存在しています。

その先祖の方々が生きた人生には、私たち同様に数多くの人々との親しい交流もあり、お世話になった人もいることでしょう。その様なご縁のあった方々に親類縁者、また、子孫が絶えてしまった方々、災害の犠牲者、戦争犠牲者とその中でも分け隔てない敵味方の方々、全てに平等に供養をするのが萬霊供養です。

この世に生きている私たちは、さまざまな生命と互いに助け合い生きており、生かされております。
 
当寺では萬霊供養を通して、感謝や癒しや慰め、平和への祈りと共に、自分自身の心を育み、目に見えぬものこそ大切に出来る心を作っていきたいと思っています。
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