ちこういん

お坊さんを注文する

ネットで注文、お坊さん宅配
ああ……、何という便利な時代に……。

アマゾンで開始されたサービス「お坊さん便」

時代のニーズ?

お布施のクレジットカード決済もできるらしいので、ライフスタイルにあっているそうですよ。

アマゾンがお坊さんを手配すること賛否が分かれているんですって。
 
好意的ですか?
批判的ですか?


どうでもいいですか?

とても助かりますか?
やりすぎでしょうか?

今日の現状では、このようなやり方を望んでいた人やアマゾンの「お坊さん便」に問い合わせをするお坊さんも居ることから、需要と供給が成り立っているようです。

ああ……。((+_+))
 

アマゾン お坊さん便
http://www.amazon.co.jp/dp/B018HVTR2U
法事・法要、定額僧侶手配・派遣ならお坊さん便
http://obousan.minrevi.jp/

 
それでは、こんなお話を

一休さんとお袈裟の話
都の大富豪で、大事な法事が営まれることになりました。主人は、導師は、どなたをお呼びしたらよかろうかと案じていましたが、京で一番の大徳寺の一休和尚こそ当代の名僧だと聞いて、一休禅師に人をつかわせました。 

若い男が寺の玄関にやって来て、

「私は高井戸と申す長者の使いの者ですが、来月大旦那さまの一周忌にあたりますので、ぜひ禅師さまにおいでを願いたいのです。高井戸と申せばすぐわかります」
と、さも勿体ぶって頼むのでした。
 

一休禅師は心やすく引き受けることになりました。

法事前日、一休禅師は何を思ったか、どこからか汚らしい着物を見つけてきて、手足には、すすをつけ、破れた笠をかぶり、乞食のようななりに身を変え、あたかも藻屑の中から出て来たような姿です。

 
秋の日も短くなった黄昏、夕闇がただよう高井戸家のいかめしい玄関さきに、一人のみすぼらしい乞食がやって来ました。
うすよごれたボロをまとった泥だらけの乞食は、
「どうぞ、おめぐみを」

と、いかにもあわれげな声を出し、両手をもみながら物を乞うのでした。
が、高井戸家の下男たちは、

「うるさい。帰れ、帰れ」
と、寄ってたかって突き出そうとしました。

それでも乞食はなおも、
「お慈悲でございます」

と哀願をくりかえしました。
「何もやるものはないわい。とっとと消えうせろ!」

玄関さきでのこの騒ぎを聞きつけた若主人が出て来て、
「おい、乞食を早く追い出してしまえ、出てゆかねばたたき出せ!」

と下男に命じました。
かわいそうに乞食は叩かれ蹴られ、散々な目にあった挙句、往来に突きたおされてしまいました。

そして翌日、一休禅師は目のさめるような法衣と金襴の袈裟をまとい、約束の時刻に駕籠で高井戸家に向いました。
高井戸家の門の内外はきれいに掃ききよめられ、生き仏さまをおがまんものと大勢の人々が集まっていました。
主人をはじめ一族郎党は紋服をつけ、威儀を正して禅師を迎えるのでした。

一休禅師は、主人に導かれて門内に入ります。
「禅師さま。どうぞ仏間にお越しくださいませ」

主人が丁寧におじぎをすると、一休禅師は、
「いや、わしはここで充分じゃ」

といって動きません。と、その場に敷いてあったむしろの上に腰をおろし、なんといっても動こうとしません。
主人はいらだち、一休禅師の手をとって引き立てようとします。

一休禅師はその手を払い、
「それではこの金襴の袈裟や法衣を仏間に持っていっていただき、わしのこの衣と袈裟にお布施を頂きたい。わしの体はありがたいものでもなんでもないから、このむしろの上で結構じゃ」

と言って、
「ご主人、実は昨日の乞食も今日のわしも同じ人間じゃ。昨日は叩かれ蹴られ、今日は迎えられて手厚くもてなされるが、一体これはどうしたわけか。このお袈裟が光るからではないのか」

といってカラカラと笑いながら自分の着ている袈裟や法衣をそこに脱ぎ、
「この法衣や袈裟にたのみなさるがいい」
といって歌を一首
 
『黄檗の 三十棒をあてられて 身には腫れたる 蝉の抜け殻』
 
そう言うと、いつもの通り、何の屈託もなく立ち去ったといいます。
 

意訳は「昨日は乞食の身なりでやってきたために、棒で追い立てられ、身に腫れが出来るような目にあったのに、それが今日は身に晴れ着(立派な袈裟)を着て丁重にもてなされている。本質は同じ人物なのに、あなたにとって大切なのは、この蝉の抜け殻のような、私の袈裟のようですね。」
という感じでしょうか、「腫れ来」と「晴れ着」がかけ言葉になっていて、「蝉の抜け殻」が、本質を見ずにうわべだけで人物を遇する相手に対しての、痛烈な皮肉としての袈裟の比喩ですね。さらにもっと深い一休禅師の思想も表していますが、それはまた。


考えさせるお話です。

いつの時代も中身よりも包装紙、ネームバリューに心奪われるもの。
 
お坊さん便も、頼む方はそれぞれ事情があるでしょう。
なかには、葬儀にはお坊さんがいたほうがいい、というお飾り的でしかない方もいるかもしれません。
 
本質のない、「うわべだけの人生」にならないようにしたいものです。
この世に於けるお金も地位も、パッケージのようなもの、一休さんの袈裟のようにならないように、外見と中身が釣り合う生き方をしたいですね。
 
中身、大丈夫ですか?
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ちこういん
Posted byちこういん

Comments 12

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aro@na  

No title

私の中身は・・・
まだまだ煩悩の塊のようです・・・

若いうちは 叱ってくれる方も居ましたが
この年になると なかなか 叱られる事が少なくなりました・・・

ですが 日常生活の中で 横着になっている事は確かにあると思います。

自分で自分の中身を見つめ直す機会・・・
必要ですね。
勉強になりました。

2016/01/22 (Fri) 15:32

智弘院  

No title

> aro@naさん
お料理も手間暇かけて、心のこもった美味しいものが出来ますよね。
手抜きはバレちゃいます。
人生も同じ、心も身体も手抜きしないように。
心身共に美しく磨いていきましょう。

2016/01/22 (Fri) 18:31

fis*****  

No title

世間の寺離れ及び仏教界の危機の象徴かと思慮致します。
信心も無く御都合主義で、都合良く利用する側、利用される側、利害関係の一致で纏める事象ではないでしょう。
これが、常態化した場合には、読経云々は仕事になるのでしょう。然し乍ら僧侶と雖も生きていかなければなりません。生活の糧を得る為には致し方ありません。では、何故この様な手段を講ずるか?冒頭で述べた寺離れに起因するのでしょう。その為、仕事として止むを得ず派遣される。之が常態化すると、益々寺離れが益々加速。悪循環です。常態化した世代の方が家庭の舵取りを担う時代になれば、長年御世話になって来た菩提寺からも離れる事でしょう。
真面目な寺院様も、『企業』と見られてしまう時代が来そうです。本来の教えを、又、仏教が自然淘汰されぬ様、守って下さい。救われれている人間の為にも。

2016/01/26 (Tue) 08:24

智弘院  

No title

> fis*****さん
確実に宗教界やお寺は淘汰されるでしょう。
寺離れ
墓離れ
葬式離れ
仏教界の世襲制の長い間の弊害の表れです。
師から弟子への関係が、親から子へになりました。
そこに、求道や教えの継承が難しくなっていくのが現実。

淘汰の先に本物が残ればと、日々精進していくのみです。

私も日頃思っていることを、こうしてご指摘くださること。感謝と共に、励みといたします。

2016/01/26 (Tue) 09:01

fis*****  

No title

拙い文面に御返事を頂戴し有難う御座います。世襲を一概に否定するのは乱暴ですが、現況では否定出来ない一面もある様です

伝統芸能の様に形を残したい、家を残したい、主役の演者は世襲のみ、芸能と仏教、非なる筈です。御釈迦様の元に自ら集まった様に、現代もその様に継承されて然るべきです。本物が残った時、其れを本物と見抜く者が残るのか、未熟な民主主義が発展してしまい、本物まで淘汰されてしまうのか。現在、新たな教えを説く方も多々おられ、仏教徒が激減されています。新たな教えの何に惹かれているか、知る事も重要なのでしょうか。

2016/01/26 (Tue) 11:12

智弘院  

No title

> fis*****さん
人生は短く、時間も限られています。
諸事百般に諸宗の教え、四書五経など学びつくせるものではなく、自分自身の精神を作ることで、時間が過ぎてしまいます。しかし、正しいと信ずるものを学び続けると、真贋を判断する目が養われてくるようです。

金融資本主義と欲望の民主主義が衆愚政治となって表れている中で、身の回りから、仏さまの教えを伝えていくことしか出来ないですが、仏教徒の激減を少しでも止めていきたいと思います。
人心も社会も益々乱れ、荒れていくでしょう。
それでも、未来を悲観はしていません。
人は仏性という素晴らしい可能性、性質を秘めていると信じておりますので、精進を続けることが出来ます。

2016/01/26 (Tue) 13:12

fis*****  

No title

ふと…
二子山 地蔵寺の御住職も、アメブロにて
述べておりました。
他宗派の方の御意見も気になる次第で。

2016/03/10 (Thu) 07:56

智弘院  

No title

> fis*****さん
地蔵寺さま、拝見させて頂きました。

お釈迦さまは「自灯明・法灯明」と仰せですし、日蓮聖人も「畜盗法師」が充満することを教えています。
世の人には、お坊さん選びを逆にしていただきたいです。

仏教界全体にも、また高位の僧の中にも問題があったりしますので、自浄能力はないと思います。
信頼できる寺僧が増えて欲しいです。

情けないことです。励むばかりです。

2016/03/10 (Thu) 13:33

fis*****  

No title

涅槃経、自灯明、法灯明
自己とダルマを拠り所とせよ
アーナンダへの御言葉
お上人様がいらっしゃる限り一縷の光明が差しております。
『私』を捨てられたお上人様は、筆舌に尽くせず、小生の救いとなっておる事、感謝申し上げます。
住み込みの方が居られると、以前書いておられました。現在は如何でしょう。

2016/03/10 (Thu) 16:27

智弘院  

No title

> fis*****さん
現在も住み込みで日々改善して、元気に過ごしております。
早く良くなっていくことを願っておりますが、これからは人を預かる、子供を預かるということも、助けを必要としている方によっては、必要かもしれないと考えています。
家族が大切なのに、家族が壊れているご家庭と接しますと、一層お寺の役目を感じています。

2016/03/10 (Thu) 21:12

fis*****  

No title

左様ですか。差し出がましくも気に掛かっておりました。追い詰められ、逃げ場がなく、行き着く所がお寺、素晴らしいですね。ただ、それが家族の放棄若しくは、他者への単なる甘えである者、それらの見極め、諭す事…難しいですね。
お願いが御座います。
若者の理解出来る言葉で、お上人様の解釈を入れて、日蓮上人様の御遺文をブログにして頂けませんでしょうか。お上人様ならば、若者の心に響かせる事が出来るのではと考えております。

2016/03/11 (Fri) 07:59

智弘院  

No title

> fis*****さん
有難うございます。その通りで、見極めが大切です。

ご要望、悩ましい問題でした。
私が一番大事に思っている日蓮聖人の教えは、
今まであえてブログには載せずにおりました。

お寺では、日蓮聖人を通して社会を人生を観ておりますが、教えとは求めて得られるものと、信仰に関しては知りたい方をお寺で待っていました。

やはりブログは勧誘と誤解、レッテルなどと、それを心配しまして、違う角度から大事なことを伝えてきた次第です。

時折、日蓮聖人のお言葉を伝えさせていただくことも大切ですね。
憂いておられるお心に背中を押され、精進してまいります。

2016/03/11 (Fri) 16:30

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