ちこういん

修行とは

修行とは

奥義や秘術の体得、あるいは宗教者としての高度な人格の完成という目的など、煩悩(ぼんのう)の基盤としての肉体を意図的に徹底して苦しめる修行だけではありませんが、身心鍛練の厳しい実践をいうことが一般的で、生活を規制する枠の中にあって、そこで体得される喜びは修行の枠が厳しければ厳しいほど大きいものとなります。修行の魅力はそこにあります。


また一般の社会でも、諸芸諸道に熟達するために師匠を求めて腕を磨くことも修行で、型から心へと単に技を習得するのみでなく、技とともに人間をもつくるという精神的意味が含まれています。

身体の実践を通して精神をコントロールすることが出来るのです。
 
神社仏閣でお祓いやお清めのように、外側についたものを取り除く、埃を払うことも大事ですが、内側の汚れとしての煩悩と向き合い、上手く付き合う力を手に入れることが出来るのが、修行の意義です。
 


昔、あるお金持ちの未亡人が居ました。親切でおだやか、やさしい人と近所の評判がよかったのです。そこにひとりの女中がいて、この人もよく働く利口者でした。

ある時この女中が、

「うちの主人は世間の評判通りの腹から善い人なのか、または今の環境がそうさせているのか、一つ試してみよう」と考えました。

そこで女中は次の日、なかなか起きないで昼頃起きてきました。
主人は機嫌が悪くて、

「どうしてこんなに遅く起きたの」と、咎めました。
すると女中が、

「一日や二日遅くなったからといってそうイライラ怒るものではありません」と答えると、一層不機嫌になりました。

女中は、次の日も遅く起きました。

主人は怒って棒で女中を叩いてしまいました。
このことが近所の人に知れ渡ってよい評判を落としてしまったという話があります。

誰でも人は、この女主人と同じで、余裕がある時は、穏やかで、思いやりがあって他人のことを考えられます。
しかし、自分にとって面白くないことを言われたり、衣食住が満たされない状態のとき、心静かに善い行が出来るようになりたいものです。

乱れた心で渡る人生は、暗がりの部屋に目隠しをして入るようなもので、つまづいて苦しむことにもなります。その時、明かりとなるのが智慧です。

今まで見えなかったほんとうの姿が見えるようになる、佛教でいう智慧は信じて修行することによって得られると教えています。

悩みを力に変える修行
 
守るものがある人に、悩みのない人はどこにもいないと思います。
願いがあるから、想いが高いから、欲があるから悩むのです。
その悩みや欲は、とても大切なものです。
悩みや欲を行動のエネルギー(気力)に変換し、昇華する。
そのために修行はあります。
心のモヤモヤを取り除き、気力を養い、人間力を向上するのが修行です。
 
こんな人にお薦め
イライラ、くよくよと不安が常態化している
想いはあるが、エネルギーが不足している
能力を全開したい、自分の限界を押し上げたい
人間力を向上し、自分の魅力を増したい
 
修行で得られるもの
直観力・感性が増し、より鋭敏になります
情(愛)の力が増し、まわりの人やモノに、より優しくなれます
胆がすわり、器が大きくなり、不動心・忍耐力が身につきます
人の魂をゆさぶる感化力・説得力が向上します
 
人間力の向上とは
安らぎ・安心・清浄心・心の癒し・魂の活力・直観力・感受性
ひらめき力・洞察力・機転の力・不動心・平常心・胆力・器力
 
このようなものが身に付けば、何と心強いか。
本当に修行とは、いいものですよ。
 
修行の先に何がある?
 
ただ修行すればいいのではありませんが、正しい教えを信じて修行することが大切だと思います。
 
自分の為の修行から、やがて他の為の修行にもなっていければ。
 
おかげさまで、自分勝手だった私も成長出来ました。
暴言や挑発を受けても、夜中に起こされても、傷つけられても、大切なものを壊されても、怒りではなく、やさしくいられるようになるのです。
でも、悲しく寂しいですよ。切なさもあります。
 
子供を育てる母の心のようなものでしょうか。
 
修行とは慈悲心に到達するものでなくてはいけないと思っています。
 
掃除・座禅・読経・唱題・供養・参詣登山、そして宴会(^^)/、お寺はいろんな修行があるのです。
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